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BPSS02 おトトの花道
 深夜零時を回る頃に帰宅して、柴山は普段滅多に締めないネクタイを緩めた。やっと少し気分が楽になった。
「難しい顔してるわね。何の話だったの?」
 妻の亜美が上着を受け取りながら尋ねる。その日、柴山はConfuseの企画開発部長である高橋から呼び出しを受けていた。「大事な人と会うからな。ちゃんとした格好して来いよ」。そう念を押され、慣れないスーツ姿で出掛けたのだった。
「うん……いや、大したことじゃないよ。いつもと勝手が違って肩が凝っただけだ」
 柴山は返事をため息で濁しながら、唇の端を歪めて笑顔らしきものを作った。この数ヶ月、思わぬ騒動に妻を巻き込んでしまったことを彼は申し訳なく思っていた。これ以上、彼女にいらぬ心配を掛けるわけにはいかない。


★  ★  ★


 Confuseに入社する以前、人気テクノ歌謡バンドの一員として活躍した柴山はグループ解散後、作曲家として多くのアーティストに楽曲を提供するほか、さまざまなイベントやキャンペーンなどに使用する音楽の制作も手がけていた。しかしほとんどの作業を一人きりで行う日々に、彼の神経は徐々に疲労を蓄積していった。
 そんなとき、ある舞台の観覧に彼を誘ってくれたのが、大学時代の先輩で、音楽業界人として親交もあった現在の部長、高橋だった。
 その舞台は、Confuseが提携する地方の芸能スクールの生徒が出演する、ソロステージとミュージカルをミックスしたようなスクールの関係者や身内向けの内容で、彼の目から見れば素人臭い、お世辞にも洗練されているとは言い難いものだった。しかしそこで繰り広げられる光景に、彼は魅せられた。荒削りだが、からだ全体から未来への熱い希望のみを発散させている少年少女たち。自分の力を信じる以外に何の根拠も保証もない不安から生まれる一途な気持ちが痛いほど伝わり、彼はいつしか心の底がうち震えてくるのを感じた。
「いいだろう、この子たち」
 高橋がステージに目を向けたまま柴山に言う。
「何だか久しぶりですよ、こんな気分になったのは」
 答える彼の声は、少しかすれていた。
「やっぱりわかってくれると思っていたよ。君はひとに曲を提供するとき、実に的確にそのアーティストの内面を見抜いている。楽曲そのものが批評になっているんだ」
 柴山は驚いた。高橋が自分の仕事をそんなふうに見ていたとは。彼は返答に窮して、はあ、と気の抜けた声を出した。高橋は続けた。
「ただ惜しいことに、的確すぎて作品としては面白みがない」
 高橋はそこで言葉を切り、にやりと笑った。まったく痛いところを突くものだ。柴山がこのところ仕事に行き詰まりを感じていたのは、まさにその点だ。どうしても越えられない壁に、行く手を阻まれているような感覚だったのだ。
「才能がない、てことでしょうかね、結局」
 自嘲気味に柴山は言った。ついさっきまでの高揚感はすっかり消えていた。
「いや、才能はあるよ。ただしそのレベルの才能を持ったものは少なくない」
「なんだか遠回しに自分を否定された気分ですね」
「気を悪くしたなら謝る。ただ俺は、君の飛び抜けた才能を貸してほしいんだ」
「飛び抜けたって、いま、僕を凡庸だと言ったばかりじゃないですか」
 柴山は少し気色ばんだ。
「借りたいのは君の眼だ。人を見抜く才能だよ」
 意外な言葉に彼は一瞬呆然としたが、やがてああそうか、と得心した。先輩が自分をここに連れてきた理由、そしてタイミングはすべて繋がっていたのだ。それまで考えてもみなかった道が、目の前に開けていた。

 柴山は高橋の誘いに応じ、作曲活動を休止してConfuseに入社した。
 会社が求めていたのは、そのころ無視できない現象を巻き起こしはじめていたモーニング少女隊に対抗できる、新しい女性タレント集団を作り上げることだ。しかしConfuseはオーディションで手っ取り早く人材を集めることをよしとしなかった。入れ替えのきく部品としてではなく、実力を持った個人の集合体こそが「モー女」に対するカウンターになると考えたのだ。そんな新人の発掘は当然地味で時間のかかる作業になるが、高橋の思惑どおり柴山の眼はその力を存分に発揮した。提携する各地の芸能スクールや地方の小さなライブハウスにまで精力的に足を運ぶなかで、柴山はいくつもの原石を発掘していった。やがてその原石たちは、何組かのユニットやソロアーティストを統合したHornetプロジェクトとして実を結ぶこととなる。
 いよいよプロジェクトが始動の時を迎えようとする頃、柴山は一つのユニットが気にかかっていた。広島のアクターズステージに通う、まだ中学生の三人組だ。すでにスクール内では一定の評価を与えられてはいたものの、彼がそれまでにスカウトしたタレント候補生と比べれば力の差は歴然としていたため、Hornetに参加させることは考えていなかった。だが単純に切り捨てることを躊躇わせる何か他と違った色合いを、三人は纏っていた。柴山は、成果を形にしたいスクール側の主導によるCDのリリースイベントに同行するうち、このままの路線で彼女たちを埋もれさせてしまうのは惜しいという思いを強くした。彼の眼には、それらの楽曲が三人に相応しくは、まったく見えなかったからだ。
 柴山は三人のHornetへの参加をConfuseに進言したが、会社側はなかなか首肯しなかった。彼らの望む実力を持った個人という条件に、三人は及ばないと考えられたのだ。一旦あきらめかけた柴山の背中を押したのは、広島のとあるショッピングセンターで行われたイベントでの出来事だ。ステージに向かう三人を見送る際、そのうちの一人から投げかけられた言葉──
「最後まで見ててね」
 むろんそれは、その日のステージを見届けてほしいという意味だった。しかし彼は、それ以上の重みをそのひとことに感じ取った。彼女たちに関するすべての責任を柴山が負うという条件で、三人はHornetの最後の枠を埋めたのだった。
 その後の三人、Black Perfumeの活躍は、すでに衆人の知るところである。


★  ★  ★


「ほんとにウソつくのが下手だね……」
 妻は笑って言った。
「……私なら大丈夫だよ、あの騒動のことを考えたら、大抵のことは平気になっちゃった」
 そうだった。彼女は三歩下がって歩くふうで、実はいつでも自分の三歩先を読んでいるのだ。
「ばれたか。しょうがないな」
 柴山の作り笑いは苦笑いに変わっていた。


★  ★  ★


「これ、君が書いたんだろう?」
 BPのニュークリア三部作をリリースし終えた興奮がおさまり、一時の達成感も気怠さを帯びてきたある日、柴山に高橋が一枚のCDを差し出した。
「ああ、これは懐かしいものを。いやお恥ずかしい」
 それは作曲の仕事がまだ少なかった頃、知人の作詞家を通して依頼された曲だった。年々減り続ける魚の消費量をなんとか増やしたいと日漁連という団体が企画したもので、全国のスーパーや鮮魚店で流すための覚えやすく明るい曲調が求められていた。しかし作詞家と話し合うなかでその曲は徐々に、人間に捕らえられ食べられる魚の悲哀を歌うものになっていった。そうして生まれたのが高橋の手にしているCD「天国のおさかな」だった。
「もう5、6年前になりますかね、作ったのは。どうしてこんなもの持ってんですか?」
「なんだ知らないのか。今これ、話題の的なんだってよ」
「え!?」
 寝耳に水だった。高橋によると、ある情報番組で取り上げられたのがきっかけで、じわじわと人気になっているらしい。業者向けのプレスのみで市販されていないCDだったため、関係者筋から会社に問い合わせがあったということだ。
「へえ、これで売れたら儲けもんですね。ははは」
 軽口を叩く柴山だったが、事態はその程度で収まるものではなかった。

 ほどなくメディア各社の取材が殺到するようになった。会社も最大限の対処をしてくれたものの、あっという間に、とても仕事のできるような状況ではなくなった。BPのマネージメントやそれに付随するあらゆる作業が影響を受けた。しかし、それだけで済めばまだよかった。困ったことに、当時は全く予算がなかったため、声楽家でボイストレーナーでもある彼の妻がこの曲の歌唱を担当していたのだった。
 作品に対する興味は、やがて作品の消費へと向かう。そのときマスメディアはCDの音楽を流すだけで事足れりとはしない。当然、本人にその場で歌ってくれ、と要求することになる。こうなると、まるで夫婦揃って嵐の海に放り出されたようなものだ。連日のテレビや各種漁業関連のイベントへの出演、次から次へと果てしなく続く取材、ここぞとばかりに持ち上がる怪しげな企画の数々、欲にかられたあらゆる関係者が群がって、狂騒のダンスはその輪をどんどん広げていった。

 その渦の中でへとへとになりながら、柴山は妙に醒めていた。これは必ずしも作品自体が評価されているわけではないし、遠からず何事もなかったように治まる騒ぎに過ぎない。しかしこの短い期間で、図らずもニュークリア三部作の合計を越えるCDセールスを記録したのは複雑な思いだ。少人数ではあるが十分な才能を備えた人材が知恵を絞り手間を惜しまず作り上げたBPの作品より、たまたまテレビで紹介されて火がついた曲のほうがずっと世間に認知されるという現実を目の当たりにして、彼は自分のやってきたことに疑問を抱かざるを得なかった。はたしてこの経験を、これからのBPに活かせるものだろうか。

 そんな柴山の気持ちに関係なく、世間はずるずると「天国のおさかな」にぶらさがり続けた。やがて、いつ果てるとも知れなかったこの一大ページェントにクライマックスが訪れる。柴山亜美の紅白歌合戦ゲスト出演だ。最初は何が何だかわからないうちに巻き込まれた形になった亜美だが、人前に出るのを好まない彼女にとって、この数ヶ月は苦痛以外の何ものでもなかった。彼女の限界が近づいているのを知る柴山は、年内いっぱいで「天国のおさかな」に関わるあらゆる活動を終了させようと考えていた。そこに降って湧いたのが紅白へのオファーだ。これでうまくピリオドが打てるような気がして、柴山と亜美は出演を受け入れた。
「タレントでもないのに、BPより先に紅白に出るなんてね」
 疲れの隠せない顔で、亜美が笑った。


★  ★  ★


 キッチンのテーブルに腰を下ろし、コップに注いだ冷えたビールをひと口煽ってから柴山は言った。
「転勤の話だ。会社が新しいプロジェクトを立ち上げるから」
「へえ、どこかしら。寒いところは嫌よ」
「冷え性だものな。大丈夫、すくなくとも北国じゃない」
「よかった。で、どこ?」
「ベトナムだよ」
「え………国内じゃないの!?」
「そう」
「あの東南アジアの?」
「そう」
「タイのお隣の?」
「そう」
「ってどんだけ!」


★  ★  ★


 年が明けて、柴山は通常の業務に戻った。大波に翻弄される小舟から降りたばかりで、まだ地に足がついていない気分だ。
 一連の騒動の間、インディーズ時代も含め主立った曲を詰め込んだ初のアルバムを発売したためBlack Perfumeの活動に大きな空白が生まれることはなかったが、CDの制作やリリースイベントも含め、柴山はほとんどの作業にタッチすることはできなかった。また、その後の展開についても確固たる戦略を立てるまでには至っていない。なにはともあれ、まず手をつけるべきはそこだ。しかし、最も力を入れているBPの仕事に専念することができて嬉しいはずなのに、彼の顔は浮かなかった。自分の曲が売れれば売れるほど、自分にできることの限界を味わわされてもいたのだった。

「お、ヒットメーカーのお出ましじゃ」
 久々にYS-TKルームを訪れた柴山を西秋が揶揄した。
「いや実際売れっ子作家は忙しすぎてこりごりだよ。BPくらいのスケジュールなら楽なんだけどね」
「おいおい。そのスケジュールを埋めるのが、あんたの仕事じゃろう」
 大木があきれ顔で言うのに、芦野が続けた。
「今まで怠けておったぶんを取り戻してもらわんとな」
「怠けていたとはひどいな。この三ヶ月ほどで、BPの五年分は働いた気がするよ」
「その経験も7型に入力したいですね。作業効率が劇的に向上しそうです」
「サッキョクノ コツモ オシエテクダサイ」
「木野さんと7型まで私をいじめるのか。ずいぶん嫌われたもんだな……」
 しょげかえった柴山をしらけた視線で見つめていた西秋が、ふいににっこりと笑った。
「おかえり、柴山さん!」
 続いて芦野、大木と木野もおかえりと声を揃え、一同は拍手で柴山を迎えた。
 あっけにとられた柴山は、みんなの様子を見てほっとすると同時に顔が赤らむのを感じた。照れくささに思わず下を向くと、目蓋が何だかじんわりしてきた。おかえり、か。帰ってくるとはこういう事なんだ。長い旅の果てにようやく故郷に辿り着いたような安らぎを、彼は覚えた。
「ただいま。留守にしていて悪かった。さあ、また一緒に頑張ろう」
 柴山はやっと顔を上げて言った。その表情は笑っているようにも、困っているようにも見えた。

 BPが自らプロデュースしたとも言えるニュークリア三部作はセールスの多寡以上に、彼女らの立ち位置を明確にしたという点で成功を収めた。次はようやく築いた基礎の上に、新しい物語を立ち上げなくてはならない。同時に大切なのは、音楽業界で生き残っていくための数字を出すことだ。
 そもそもConfuseが契約するつもりのなかったBPを曲がりなりにもメジャーデビューへと押し上げ、アルバム制作にまで漕ぎ着けたのには柴山の功績が大きいことは否めないし、また彼自身もBPをビジネス的に大きくすることに対して欲があった。しかしどうだろう。嵐を通り抜けたいま、自分の感じているのはやすらぎだ。BPや木野、7型といるだけでほっとしているような男に、果たして何ができるのか。柴山は自分がすっかり丸くなってしまった気がした。
 そんなぎこちない気分で仕事を続ける柴山を、高橋は見逃さなかった。柴山が人の才能を見いだす眼を持つのと同じく、高橋は人の精神状態を敏感に察知する能力に長けていた。実際はこうした力を適切に使えるものはそう多くないのだが、本来管理職には必要とされるべき条件だ。彼のもとで働いていたことは柴山にとって幸運だった。

「そろそろ落ち着いたか?」
 Confuseのデスクでぼんやりと窓外に目をやっていた柴山の背中から高橋が声を掛けた。
「あ、すいませんぼうっとして」
 柴山は慌てて背筋を伸ばし、座りなおした。
「いやいや構わんよ、楽にしてて。いまひとつエンジンがかからないようだな」
「ええまあ。つい考えが堂々巡りして、集中できないんですよ」
「大変な騒ぎだったからな。無理もない」
 高橋は柴山をねぎらいながら隣の席に腰をおろした。
「でも貴重な体験だっただろう。なかなか売れるという状態を実感できることなんてないぜ」
「そうですね。それにマスメディアの力を再確認しましたよ。今まで積極的には利用しなかった部分なので」
「確かに、うまく味方に付けられればデカいけどな」
「BPもまずまず土台固めはできたので、今後は積極的に露出を増やす方向を探ろうと思います。けど……」
 柴山は少し逡巡してから言葉を継いだ。
「こんなこと言うの、自分でも青臭くて嫌なんですけど、売れるのってそんなに大切なことなんですかね」
「どうしたんだいきなり。タレントを扱ってるのに売れなくていい理由が何かあるのか」
「いえ……そうですよね。ビジネスですもんね」
「ただ、そうそう割り切れるもんでもないけどな。本来アーティストも裏方も、抽象的な言い方になるが、何か良いものを生み出したいと願っているわけだろう。売り上げは、それが受け手に届いたというひとつの目安だと思うよ。まあ、こんな風に考える俺も青いってことだ」
「私も良いものは売れるべきだと思います。でも世間では、売れたものが良いものだと言われるでしょう。現に私のあんな曲がヒットを飛ばしたんですよ」
「あんな曲? 自分の作ったものなのに」
「そもそも急な仕事で書き飛ばした曲ですからね。別に思い入れはありません」

「あんたぁ、腑抜けたもんじゃのう」

 不意に投げつけられた言葉に、柴山は凍り付いた。振り返ると西秋が憮然として立っていた。
「ああ、君……聞いていたのか」
「ああ。じゃが聞かんかったらよかった。ムカムカするわい」
「作家じゃないと、わからないこともあるんだよ」
 力なく笑う柴山の言葉を聞いて、西秋の目が凶悪な光を帯びた。
「腑抜けに加えて傲慢か。そいつはダブルでおトクじゃのう」
「何が言いたいんだ?」
「何様のつもりかと言うとるんじゃ。自分で作ったものに誇りも持てん男が」
「あくまで仕事だからね。すべての曲に精魂込めるわけじゃない」
「ほほう。仕事を言い訳にするとはな」
「意に沿わない依頼だって当然あるだろう。それでも淡々とこなすのが仕事ってものだ」
「こなす、か。誤摩化さずにやっつけと言うたらよかろう」
 柴山の顔は一瞬くもったが、気を取り直して言った。
「言葉は悪いが、それに近い曲もなくはない。仕方ないよ」
「じゃけど考えてもみんさい。あんたの作ったものを人生で一番大事な曲と思う人がおるかもしれんぞ。その人に言えるんか、こんな曲でいいんですか、と」
「あ……いや……」
 柴山は口ごもった。誰に対するものかわからない憤りが、彼の中で渦巻いていた。
「偉そうに作家とか抜かすなら、胸を張れん仕事を人前にさらすな、迷惑じゃけ。それと今後、わしらにも一切関わらんでもらおう!」
「おいちょっと待て。それとこれとは……」
「うっさい。苦情には対応しとらんのじゃ!」
 西秋は持っていた紙袋を柴山に叩き付けると、踵を返して帰りかけたところで振り返った。
「もうひとつ言っておくぞ」
 その声は鋭く、ひたすら冷たかった。
「歌は作家だけで出来上がるもんとは違うんじゃ。歌手をなめんな!」
 そう言い残すと、彼女はどすどす足を踏み鳴らしてオフィスを出て行った。

「相変わらず激しいな、彼女は」
 二人のやりとりを黙って聞いていた高橋が可笑しそうに言った。
「ええ、それにいちいち正論を吐くので困りますよ。聞いてる方が恥ずかしい」
「彼女の言葉がこたえたんだろう」
 いくら取り繕っても無駄だった。柴山自身が迷っていたことを、すべて白日の下に晒されたのだから。柴山は高橋に何も言い返せず、投げつけられた紙袋に目をやった。中を覗くと何か飲料製品のパッケージのようだ。取り出した紙箱にはこう記されていた。『栄養満点! 健康飲料 烏骨鶏の卵酢』。
「彼女たちなりに、君の体調を心配していたようだな。よほど元気のない様子を見せてたんだろう」
 中身を見た高橋が言うのに、柴山が苦笑しながら答える。
「かもしれません。しかし、つくづく垢抜けていないな、この差し入れのセンスは……」
 そこまで言って彼は言葉を詰まらせた。高橋が続きを引き取った。
「美味し烏骨鶏のレシチン……だな。君と彼女たちで作った最初の曲か」
 西秋の投げつけていった紙袋を膝に、柴山は返事もせず深く考え込むようにじっと俯いていた。彼をしばらく見つめていた高橋は、おもむろに口を開いた。
「なあ、柴山君。相談があるんだが……」


★  ★  ★


「Confuseが来年度ベトナムに現地事務所を開く。その所長職を打診された」
 柴山は新たに開けたビールをコップに注ぎながら説明を始めた。
「今日はベトナム側の代理人と顔合わせがあったんだ。それでスーツなんか着させられて」
「そういえば香港と韓国にも事務所があるよね」
「ああ、経済ではBRICsに続いてVISTAと呼ばれる国々が話題だけど、ショービジネスの世界でも同じ流れが起こりつつある。特にベトナムは注目度が高いんだ、容姿や国民性も日本人好みだしね」
「また新人のスカウトをするの?」
「それだけじゃなく、今度は直接タレントの養成もする。ポップカルチャー自体まだまだ根付いていない国だから、そこから始める必要があるんだよ」
「時間が掛かるわね」
「先行きもはっきりしない仕事だしな」
 しばしの沈黙の後、亜美が言った。
「でも、私も手伝えそう」
 柴山が口に運びかけたコップの動きが止まった。
「いいのか?」
 問いかける柴山に、亜美は笑顔を向けて言った。
「私も一杯いただこうかな」
 二人は暖かなダウンライトの下で、厳かに乾杯した。


★  ★  ★


「ほんまに行ってしまうんじゃのう」
 成田空港第2ターミナルの出発ロビーで芦野が寂しげに言った。
「ああ。慌ただしくて済まない。私もろくに準備ができていないくらいなんだ」
 ベトナム行きにまつわる様々な手続きのため、柴山は一足先に単身、現地へ発つことになっていた。
「せっかくまた一緒に仕事できると思うておったのに」
 すっかりふっ切れた様子の柴山に、大木がちょっとむっとした顔で言う。
「私もそのつもりだったけど、無理だと気づいた。君たちのせいだよ」
 芦野と大木がぽかんとして柴山を見た。頬を緩めて柴山が言った。
「君たちはもう、私のずっと先を走っているんだ。自分でも知らないうちにね」
「そんな……」
 柴山の答えに、二人は心細い表情を浮かべた。
「本当だよ。君たちの前には今までと違った道が開けている。だから私も別の道を選ぶ必要があった、そういうことだ」
「でも、どんな道なんか柴山さんに教えてもらわんと。わしには見えんけえ」
 芦野が追いすがるように言う。
「大丈夫だよ。君たちのことはConfuseが全力を挙げてバックアップするから」
 芦野と大木が我慢できずに俯いた。西秋はずっと顔を横に向けて、視線を合わせないままだ。

「時間だ」
 柴山は空港の監視カメラに目をやり、その向こうにいるだろう木野と7型に笑いかけてから、目の前の三人に向き直った。
「ほんとうに君たちと仕事ができてよかった。私の誇りだよ。ありがとう」
 小刻みに肩を震わせる芦野と大木は顔を上げることができなかった。その時、それまでひと言も発していなかった西秋がようやく口を開いた。
「まだ終わっとらん。あんた、最後まで見届けとらんじゃろうが」
 柴山の笑顔に影が差した。
「申し訳ない。それだけが残念なんだけどね」
「何を言うとる。心配せんで待っとったらええんじゃ」
 西秋の目がきらりと光る。
「え?」
 怪訝な顔をする柴山に、西秋は誇らしげに宣言した。
「世界中のどこにおっても、BPを見届けることはできるわい。わしらの方から世界に飛び出していくからな!」
「君は……本当に……」
 西秋はくるりと表情を変え、輝くような笑顔でいった。
「最後まで見ててね!」


★  ★  ★


「本当に彼でいいんですか?」
 Confuse社長室のデスクに覆い被さるように身を乗り出し、社長の耳元に口を寄せて高橋は問い直した。
「まあ、まかせてみてくれ。きっといい結果を出してくれるはずだ」
「しかし……」
 高橋は怪訝な面持ちで応接セットのソファに深々と腰掛けた男に目をやった。社長はそんな高橋をにやにやしながら見ている。
 痩せた身体を黒の革ジャンと細い皮のパンツで包んだ男はゆらりと立ち上がると、高橋に向かって頭を下げた。金髪の根元が黒くなっているのが見て取れる。男はぼそぼそとはっきりしない低い声で言った。
「……ども……松本です……よろしく」

 この日から、BPはこの男とともに新しい道を歩むこととなる。松本、のちに通称まっさんとして知られるようになるのが彼だった。

〈 終 〉

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【2007/08/19 14:00】 | あばれ旅SS
Black Perfume
あばれ旅


花の東京で天下を取れ! 大木黒綾ノ、西秋黒文香、芦野黒優香。広島出身のBP三人娘が繰り広げる、愛と涙の大冒険。

プロフィール

pinksun

Author:pinksun
※このストーリーはフィクションであり、登場人物、団体名等は全て架空のものです。
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