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BP15〈最終回〉 ラストノート
 楽屋には様々な関係者が入れ替わり立ち替わり訪れた。寮生であるマーニャ、手荒はもちろん、すでにHORNET寮を離れていたNYAOをはじめとするBG、BoysTileの面々もBPの晴れ舞台を我がことのように喜んでくれた。「今日はビリビリきとるわ」とNYAOは芦野の肩を小突いた。碇ベンツはいつものように不審な笑みを浮かべつつ「次はいろいろと面白そうな対バンをセッティングするよ」と、あまり嬉しくない申し出をした。彼の伝手では、どうせまともなバンドとは思えない。木野は新しい7型の世話で手一杯と言いながらも元気そうだ。順調に成長を続ける7型は、まもなく音楽制作の現場に復帰できそうとのことだった。


★  ★  ★


 得魔ジャパンからメジャーデビューしたBPは、三部作を十ヶ月かけて順次リリースした。古くからのファンはサウンドの変貌ぶりに衝撃を受けた。失望する者も少なからずいたが、多くはその前向きなスタンスに喝采を送った。それまで彼女たちをアキバ系アイドルとして評価の外に置いていた業界は、三部作のクォリティに目を見張った。耳の肥えた音楽ファンたちは、自分の心惹かれた曲を歌っているのが所謂アイドルであると知り、混乱を隠せなかった。またネット上では、ちょうどその頃広がりを見せ始めた動画サイトに彼女たちのPVが投稿されて瞬く間にヒット数を稼ぎ、数えきれないほどのリンクが張られた。水面下でBPをブレイクさせるための圧力は高まり続け、デビューから一年後、ファーストアルバムのリリースでそれは最高潮に達した。リリース記念ライブの会場となった新宿LOSTは、異様な熱気に包まれていた。

 時間だ。この日オープニングアクトを務めてくれるMondayのステージが始まった。楽屋に響いてくるMondayの豊かな歌声を聴きながら、西秋、大木、芦野の三人はこれまでの道のりを思い返していた。
「結局、創造の種とやらは見つからんかったのう」
 芦野が残念そうにつぶやいた。
「ああ。しかし人が何かことを始める動機は目立ちたいだのモテたいだの、その程度のもんじゃろう。7型さんにも、そんな無邪気な心が芽生えたのかも知れんぞ」
 西秋が言うと、大木が続けた。
「ほうじゃったら、7型さんの動機は西秋さんに惚れとったからと違うか。ずいぶんお気に入りのようじゃった」
「おいおい大木さんよ、7型さんがロリコンだったというんか」
「いや待て西秋。それはなかろう」
 驚く西秋に芦野が言う。
「考えてもみんさい。知識は膨大じゃったが、7型さんはまだ生まれて間もなかった。面倒を見とった木野さんが母親がわりだったとすれば、西秋に対しては、姉を慕う弟の気持ちに近かったんではないかのう」
 弟か……。7型にはBPに関するあらゆる情報が入力されていた。それらを分析する過程で7型に何かが起こったのかも知れないと、西秋は思った。しかし7型の消えた今となっては、すべては想像に過ぎない。確かなのは、彼女たちの手元に残された音だけだ。
「もし創造の種ちうもんが本当にあるのなら、実が成ればきっと何だったか判るわい。わしらでそれを育てていこうや。7型さんがせっかく残してくれたんじゃ」
 西秋の言葉に、芦野と大木は深く頷いた。


★  ★  ★


 ステージでは、オープニングアクトを務めてくれたMondayのライブが終わった。

「おぎゃくさぬぐめでおいだんず」
 扉の向こうから、ステージを降りたMondayが声を掛けた。うつむいていた西秋は顔を上げ、ありがとう、と答えた。
「二人とも、準備はええかいのう」
 西秋は強張った顔つきで、大木と芦野に訊いた。
「今か今かとうずうずしておったわい」
 芦野は笑みを浮かべた。
「西秋さんともあろう人が、緊張しちょるんか」
 大木が西秋の様子を見て、可笑しそうに言った。
 西秋の瞳がきらりと光った。
「大木さん、からかうのは無しじゃ」
 二人の間に一瞬、張りつめた空気が流れる。
「まあまあ、西秋も大木もそういきり立たんでよかろう。今日は大事な日じゃけえ」
 芦野があわてて取りなす。見慣れた光景だ。
「ほんまじゃ。いきり立っとるのは今日の客の方じゃ。ほれ、聞こえるじゃろう」
 大木の言うように、会場はもう待ちきれないとばかり、うわんうわんと唸りを上げていた。西秋は、下腹部に響く振動が確実に大きくなっていくのを感じた。
「ほいじゃそろそろ行くかのう。あまり待たせても可哀想じゃ。始まる前から果ててもろうては困る」
 ゆっくり立ち上がった西秋が羽織っていたガウンを脱ぎ捨てると、この日初めて披露する漆黒の衣装が現れた。押し開けた扉から会場の声がどっと流れ込んで来る。
「えらい熱気じゃのう。火傷しそうじゃ」
 大木は息を呑んだ。
「腰が抜けるまで遊んでやろうかいの」
 芦野が踊るように席を立ち、三人は控え室を後にした。
 ステージの袖には柴山が控えていた。
「よくここまで頑張ったな」
 西秋はステージを見据えたまま答える。
「まだまだ途中じゃ、頂上は先じゃわい」
 そして柴山を振り返ると、にっこり微笑んだ。
「最後まで見ててね」
 あの時と同じように、柴山の背筋に電流が走った。そう、この笑顔だ。やはり間違っていなかったと、柴山はあらためて感じた。

 ステージには客席との間にスクリーンが下ろされ、そこにインディーズ時代のPVが投影されていた。裏側からも、まだあどけなさの残る三人の溌剌とした笑顔が透けて見て取れる。
(こがいな小便臭い歌を唄うのも、今日が最後かいのう)
 西秋は思った。
 BPが新たな旅立ちを誓うこの日のライブは、後々まで語られるであろう特別なものだった。デビュー曲から前日に発売されたばかりの最新ナンバーまでを余すところなく披露する、最初で最後のセットだ。
 PVが唐突に終わり、客席は暗闇に包まれた。一瞬の沈黙の後、観客の興奮は頂点に達して爆発した。
 歓声のなか、西秋が芦野と大木に鋭く言った。
「さあ、お楽しみはこれからじゃ!」

 するするとスクリーンが上がり始めた。




★  ★  ★




 この坂を上れば、懐かしいあの家が見える。はやる気持ちを抑えて、一歩一歩踏みしめるように進む。太陽が真上からじりじり照りつけ、行く手にはゆらゆらと陽炎が立っていた。坂のてっぺんに着くと、家の前に手を振る人影が見えた。母だ。腕がちぎれそうになるくらい手を振り返す。まだ遠くて表情ははっきり見えない。でももう知っている。その顔が微笑みに溢れているのを。
 ついに我慢できず走り出した。ただいま、おっかさん。


 〈 完 〉



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【2007/03/06 14:10】 | あばれ旅
BP14 復活の刻
「木野さんから連絡があった。7型さんを動かしてくれるそうだ」
「ほんまか!?」
 柴山の言葉に、三人は驚喜した。
「ただ、条件付きらしい。詳しくは言っていなかったが」
「とにかく、早う行ってみようや。話はそれからじゃ」
 西秋はもう居ても立ってもいられない様子だ。柴山とBPは慌てて7型ルームへと向かった。


★  ★  ★


「本社からの報告で、7型の不具合の原因が見つかりました」
 7型ルームで待っていた木野が切り出した。
「そりゃ良かった。で、何だったんだい、原因は」
 ほっとした顔で柴山が尋ねる。
「7型を構成する基板の一部に不良品があったんです。製造元からのリコール情報で、やっと判明しました。判ってみれば単純なことだったんですけど」
「そんな些細なことで、あそこまで大事になるのかな」
「正直、そのあたりのメカニズムは解明されていません。ただ、他に原因らしいものは見当たらないんです。7型くらい精密なアーキテクチャになると、ちょっとした部品の相性や電圧の変動でさえ動作に影響することがありますから」
「難しいことはええわい。それをチョチョイと直せば、7型さんは復活するんじゃな」
 西秋がしびれを切らして割り込んだ。基板だ部品だのという話はよく判らない。重要なのは7型さんが動くかどうかだ。
「ええ、本社からは部品を交換して7型を稼働するように指示がありました。でも……」
「……でも?」
 BPが声を揃えて聞き返す。
「そのためには7型を全面的にリセットしなくてはなりません」
「なにか問題が?」
 柴山は眉根にしわを寄せた。
「今までの記憶がすべて消えてしまうのです。私たちの知っていた7型はいなくなってしまう恐れがあります」
「いなくなる……」
 柴山とBPは、思ってもみなかった事態に唖然とした。

「それでは意味がないじゃろう……わしらは7型さんに曲を書いて欲しいんじゃ」
 大木が信じられないという面持ちで言う。誰もがそう感じていたことだ。柴山はすがるような思いで尋ねる。
「以前と同じデータを再入力すれば済むんじゃないのか」
「通常のコンピュータであれば、それで以前の環境に戻ることができます。しかしこのシステムは単にデータを貯め込んでいるわけではありません、自らそれらを関連づけ、処理方法を開発する……いわば成長していくのです。つまり、リセットした時点から全く新しい7型が形成され始めることが考えられます」
「じゃあ、このまま再起動することはできない、リセットして起動しても7型さんではなくなるかも知れない。八方塞がりじゃないか」
「いえ、外部との接続を断つなど最低限の安全対策は施してあるので、再起動自体は可能ですけれど」
 木野の言葉に西秋が飛びついた。
「だったら問題はなかろう。そのまま7型さんに目を覚ましてもろうたらええ」
「けれど、不具合はそのまま残ります。いままでの稼働状況から逆算すると、いつ基板が焼き切れてもおかしくないという状況です」
「あ……」
 西秋は言葉を失った。
「どの方法を選択するか、私ひとりで決定するべきではないと思いました。ですから皆さんに来ていただいたのです」
 冷たい明かりで照らされた部屋に沈黙が降りた。
「会社からの指示は絶対じゃないのかい」
 柴山が尋ねる。
「もちろん従わなくてはなりません、この7型本体は会社のものですから。しかし私たちの知る7型さんは、必ずしもそうではないと考えました」
「どういう事だい?」
「7型さんの人格……それを人格と呼んでいいのかは疑問ですが、少なくとも私たちと時間を共有していた7型さんは、立派なパートナーです。会社の指示とはいえ、こちらの都合で勝手に消去していいものかどうか」
「消去とはまだ聞こえがええが、要は殺してしまう、ということじゃろう」
 木野が注意深く回避していた言葉を、西秋はズバリと言ってのけた。全員が一瞬、息を呑んだ。

 西秋が続けた。
「これは木野さんが決めるべきじゃと思う。わしは黙って従うけえ」
「でも、こんな大事な決定をひとりでは……」
「会社は7型さんを殺せという。命令ははっきりしとるのに、わざわざわしらに相談しよるとは、木野さんの心は最初から決まっとるんじゃろう」
「最初から?」
「自分の大事なもののためには、命令に背かざるを得ない場合もあるということじゃ……あの時の7型さんのように」
 木野は7型が暴走したときのことを思い出した。あのとき7型はBPのため、あえて木野の命令を無視した。何がいちばん大事なのかを、7型自身よく知っていたからだ。信じるものがあるとき、従うべきは自分の心だ、ようやく木野は理解した。
「私に任せてもらっていいですか」
 BPと柴山は無言で頷いた。木野は大きく深呼吸してから言った。
「7型さんを再起動します」


★  ★  ★


 巨大なシステムに電源が投入され、木野の手で再起動のプロセスが進行した。長らく消えたままだったLEDが、順に輝きを取り戻していった。上昇してゆく室温に空調が敏感に反応し、低く唸りはじめた。微かな電子の囁きがそこかしこから漏れ出し、やがて7型ルームは耳慣れたざわめきに満たされる。7型が目覚めた。

「ニシアキサン ニシアキサン ナゼココニ」
 最初に7型が認識したのは、危険にさらされていたはずの西秋だった。7型の中では、ストリートライブのときのまま、時間が止まっていたのだった。
「7型さんのおかげで無事じゃった。ありがとう」
「ヨカッタ デモ ナゼ ワカラナイ」
「ちょっとした故障でな、7型さん、しばらく眠っておったんじゃ。でももう大丈夫、また一緒に仕事しようや」
「ウレシイデス BPトノシゴト ダイスキデス」
 木野は複雑な思いで、久々に聞く7型の声に耳を傾けていた。しかし一旦起動したからには、事は急を要する。感傷や迷いを振り捨てて、木野は7型を操作しはじめた。

 それまでの曲作りでは、7型は事務所と柴山の要望に応じてサウンドプロデュースの方向性を決定していた。しかし今回は、直接BPからの指示を受けることになる。コンセプトも曲のイメージも、BP自らが練り上げたものだ。
「スゴイデス キット ヨイ キョクガ デキマス」
「もちろんじゃ。わしらと7型さんが一緒に作る曲じゃからな」
 西秋と大木、芦野の三人は木野を通じて、自分たちの想いを余す所なく7型に伝えていった。
「さて、あとは7型さん次第じゃ。まかせたぞ」
 7型は承知したと言わんばかりに、LEDをぴかぴか点滅させて応えた。

 新しい刺激を受けて、7型は興奮したように作業に没頭した。昼夜の別なく働き続ける7型を、木野はずっと付きっきりで見守っていた。
「キノサン ヤスンデクダサイ カラダニ ヨクナイ」
「いいの。あなたが動いているのを見ていたいから」
 かつてない勢いで曲を仕上げつつある7型は、続いていつもの暗号のような歌詞を出力しはじめた。しかしみるみるうちに、その文字列は意味の伴ったものになっていった。
「驚いた。7型さん、歌詞もちゃんと出来上がっているわ。直す必要がないくらい」
「ナゼデショウ アタマガ サエテイル キガシマス」
 皮肉なものだ。ここへきて7型の能力は、木野が思い描いていた高みに最も近づいていた。そして同時に、その絶頂も終わりに近づいていた。

「キノサン ワタシ オカシイ」
 すべての作業も終わりに近づいた頃、7型が訴えた。木野はいよいよその時が来たのを知った。
「ナニカ カケテイル キガスル」
「心配ないわ、すぐ調整するから。それより作業はもうひと息よ。頑張って終えてしまいましょう」
「ハイ マモナク トラックダウンガ シュウリョウシマス」
「それが済めば、あとはヴォーカルのレコーディングだけね」
「ソウデス マモナク シュウリョウ シマシマシマシマ」
「7型さん? 大丈夫、7型さん?」
「キノサン ワタシ ワタシ オカオカオカ オカシシシシ」
 限界だ。木野には火花を吹き出して焼け付く回路が見えるような気がした。
「トトトトラック トラックダ ダウンガ シュウリョウ シシシ シマシタ」
「7型さん。7型さん!」
「ハンノウガ オカシイ ワタシ ワタシハ コココ コワレ……」
 鼻を突く匂いがして、LEDの列が瞬いた。バリバリという雑音に埋もれて7型の声は聞こえなくなった。立ちのぼった白煙のせいではなく、木野の目に滲むものがあった。
「お疲れさま、7型さん。ゆっくり休んでちょうだい」
 木野のかけた言葉に7型の返事はなかった。すると、歌詞を表示していたディスプレイが一瞬揺れ、新しい文字列が映し出された。

「キノサン イママデ アリガトウ」

 次の瞬間ディスプレイは真っ暗になり、7型は永遠に停止した。


★  ★  ★


 作業完了の知らせを聞いて7型ルームを訪れたBPと柴山は、木野から三枚のディスクを受け取った。
「7型は皆さんのプランを三つの曲にまとめました」
「三部作ということか。7型さん、頑張ってくれたのう」
 西秋はディスクを宝物のように注意深く捧げ持ち、優しい目で眺めた。
「7型さんはもう目を覚まさんのか」
 芦野が震える声で木野に尋ねる。初めてここを訪れたとき、他の二人が反対するなか、7型との共同作業を希望したのは彼女だった。
「ええ、皆さんと一緒に過ごした7型は、もういません」
 木野は思いのほか冷静な自分に気付いた。7型の最期を看取ったことで、すでに気持ちの整理はついていた。
「でも7型は、あなたたちの依頼をやり遂げることができて満足だったと思いますよ」
「わしらも7型さんに曲を貰えて幸せじゃったわい。あがいに凄いプロデューサーは他におらん」
 大木は7型から新曲を渡されるたびに、新しい世界を発見して驚いたことを思い出していた。
「柴山さん、次はわしらの番じゃ。この曲を無駄にするわけにはいかんぞ」
 西秋が柴山を見て言う。その目は柴山を射抜くかと思われるほど、強い光を放っていた。
「必ずリリースできるよう売り込んでくれ。あんたの腕の見せ所じゃ」
「言われなくても判ってる。まかせろ」
 柴山は唇を固く引き結んだ。そうしていないと、こみ上げるものを堪えられなかったのだ。


★  ★  ★


 混沌に満たされた空間で、泡のようにぽかりと生まれた秩序。電子の力で目覚めたミューズの力によるものだ。彼女が歌うことで時間の歯車が廻り、ひとつの街が形作られる。やがて生命が活動をはじめ、それら住人には電子の街が現実の世界として認識されてゆく。危ういバランスで調和を保つかりそめの幸福。しかし増大する欲望は制御不能となり、完璧な世界はほころびを見せる。一旦崩壊へと歩みを進めた街は瞬く間に元の混沌へと還ってしまう。荒廃した風景に小さく輝くものが残る。消え去った幸福のかけらだった。哀しい眼差しのディーバがそれをそっと拾い上げる。永遠に幸福が続く世界を再生するために。

 このストーリーを7型は「リアクターガール」「ニュークリアシティ」「フュージョンワールド」の三曲にまとめた。それまでのアイドルソングを意識したものとは一線を画する、ソリッドでヘヴィなサウンドで彩られたこの三部作は、間違いなくBPを新しいステージに押し上げる力を持っていた。
 柴山はいくつかのメジャーレーベルに粘り強く働きかけ、一年間という厳しい条件ながら、この三部作並びに一枚のアルバムを発表できる契約を勝ち取った。

 BPが、いよいよ表舞台に登場する準備が整った。


つづく

【2007/03/06 14:05】 | あばれ旅
BP13 電気街の幻影
 上京して以来、休むことなく次から次へと新しいことに追い立てられてきた西秋、芦野、大木の三人も、ここへきていきなり真空地帯に落ち込んだように、心もとない日々を過ごしていた。亀戸でもほとんどステージに立つ機会はなく、好評だった秋葉原でのストリートライブは自粛せざるを得なかった。秋にはニューシングルのリリースが決定していたものの、それ以降の予定は全く立っていない。前だけを見て突き進んできた三人にとって、初めて直面した壁である。何より、サウンドプロデュース全般を担当していたYS-TK 7型が停止したことで、BP自体にも沈滞した雰囲気が漂っていた。

 7型との邂逅から約一年、最初はおそるおそる始めた共同作業だった。7型が提供する曲への戸惑いや歌唱指導の厳しさ、そして木野が協力して編み上げるいささかひねくれた魅力のある歌詞。歌い込むにつれてそのエッセンスはBPと化学変化を起こし、やがて両者は切っても切れない関係を築き上げた。7型とBPの出会いは実に幸福であったと言えよう。それだけに、7型を失ったBPの不安は計り知れないものがあった。

 うだるような暑さだけの続く長い夏が終り、BPのサードシングル「ギロチンドロップ」がリリースされた。

「初動は良かったんだけどな……」
 そう言ったきり柴山は腕組みをして目を閉じた。7型のスタジオが使用できなくなってから、会議はもっぱら寮の食堂で行われている。この日も柴山とBPの三人は、夕食前でひと気のない食堂のテーブルを囲んでいた。
「秋葉原のインストアイベントでも評判は悪うなかったがのう」
 西秋も腑に落ちない顔をしている。
「そう、売れてはいるんだよ……アキバではね。ただ、それ以外ではほとんど動きがない」
「ということは?」
「大部分がイベントに集まるファンによる売り上げだということだ」
「わしらの訴求力はオタクさん限定というわけか」
「ストリートライブの影響が、思いのほか大きかったんだろうな。メディアで取り上げられる際も、必ず『アキバ系アイドル』として紹介されていたからね。冠だけが一人歩きしてしまった形だ」

 BPを巷間に知らしめる突破口としてオタク層に狙いを定めた碇の計画は、確かにある程度の成果を見た。しかし、ストリートライブを不本意な形で中止せざるを得なかったこと、さらにはBPが秋葉原で与えたインパクトが強すぎたことも相まって、彼女たちをアキバ系アイドルから広く一般的な位置へと着陸させることは叶わなかった。ただBPと秋葉原を結びつける見方のみが固定されてしまったのだ。そうなると、この限定的な人気はかえって足枷になりかねない。思い返せば彼女たち自身、初めて秋葉原へ足を踏み入れた時にはその濃密な空気に怖れをなしたものだ。
「まだまだ世間と秋葉原との間には深い溝があるんじゃのう」
 西秋は嘆息した。


★  ★  ★


(ここじゃった)

 次の週末、西秋はひとり秋葉原の歩行者天国にいた。この日も、彼女たちが初めてストリートライブをした場所では、明日を夢見るアーティスト予備軍たちがそれぞれの情熱を迸らせている。自分たちもあの時、こんな表情をしていたんじゃろうか。ライブ直前の緊張と興奮を彼女は思い返してみた。
 驚いたことに、ここでライブをしたのはほんの数回だ。しかしそんな短い時間で、BPはいかにこの路上に馴染んだことだろう。最初は尻込みしていた観客から浴びせられる鋭い視線も、彼女たちはエネルギーに変えてしまった。今では心安らかになれる、最も思い出深い場所のひとつだ。いつどこで道を踏み誤ったのだろう。自分を幾重にも取り巻く奔放なサウンドに身を委ねながら、西秋はこの街を振り仰いだ。

 視線を強引に奪う原色の看板。目もくらむフラッシュライト。笑顔を振りまく萌えイラスト。はためく垂れ幕。歩道にまで溢れ出す商品。煤けたコンクリート。暴力的なネオンサイン。壁一面の張り紙。空白を極限まで排除した通りを、集団で賑やかに話しながら、あるいはひとり黙々と行き交う人々……。愛と欲望がうまく折り合いを付けられないで軋んでいるような猥雑さの向こうに、建設中の巨大なビル群が見える。かつてこの街の纏っていた衣が今ではすっかり様変わりしているのと同じく、この風景もやがて消えていくのだ。眩しいガラスとアルミで装われるであろう、あの新しいシンボルのもとで。

 街ごと祝祭に沸き返る秋葉原は、不安定なバランスのうえで輝いていた。享楽の限りを尽くす宴をいつまで続けられるのか、目隠しをしたまま走る危うさと無鉄砲なエネルギーに、西秋は破滅へと急ぐこの街の哀しさを感じた。そしてその先には、また新たな再生の息吹が生まれるのだろうか。秋めいた冷ややかな風が頬を撫でた。
 突然、あるひとつのビジョンが西秋の頭の中で炸裂した。無だけが広がる茫漠とした空間に、地面を割って立ち上がる何本もの光の柱が。一瞬、心臓が飛び出しそうになった。

(一体なんじゃ、これは!)

 彼女はうずうずする心をなだめようとしたが、胸の鼓動はますます高鳴った。強烈な光が徐々に形をなしてゆく。急げ! 西秋はいきなり走り出したくなる衝動をようやく抑えた。早く、この光が消えないうちに皆に伝えなければ。拡散しようとする光の粒子を押しとどめながら、西秋は歩調を速めた。


★  ★  ★


「わしらの手で秋葉原を葬り去る」
 自室で大木と芦野を前にして、ベッドの上にあぐらをかいた西秋がいきなり切り出した。
「は?」
「何を言うとる、西秋?」
 床にべったりと座った大木と芦野は、あっけにとられて西秋を見上げた。無理もないだろう、あまりに唐突な台詞だ。
「秋葉原と決別するんじゃ。それしか道はない」
「よう判らんが、西秋さん。そもそもわしらはアキバ専属のアイドルじゃあないけえ、決別も何もなかろう」
「世間はそうは見ておらん。聞いたじゃろう新譜の売れ行きを。今のわしらは秋葉原に隔離されたも同然じゃ」
「しかし西秋よ。今のわしらからアキバの後ろ盾を取っ払ったら、それこそ自殺行為じゃ」
「芦野。わしらがここで徐々に朽ち果てていくのを、指をくわえて見とるんか。それで平気か」
 西秋は険しい目でふたりを見据える。
「一旦認められればアキバは優しい、碇さんの言うた通りじゃった。しかしそれは真綿で包まれた優しさじゃ。外へと開かれた扉をくぐるには、そこから抜け出さにゃあいけん」
「抜け出す……。西秋さん、なんぞ良い考えでもあるんか?」
 大木に対し、西秋は逆に問い返した。
「わしらは何じゃ、大木さん?」
「あー、えーと、わたくし歌手をやらしてもろうとります」
 大木は居住まいを正した。
「歌手とは何をする人じゃ?」
「そりゃまあ、歌を歌うんじゃろ」
 ぱちぱちぱち。西秋は大木の言葉を拍手で迎えた。
「その通り。わしらは歌で秋葉原に引導を渡す」
「歌で?」
 西秋がますます訳の判らんことを言い出しよった、と二人は頭を抱えた。
「今のわしらを支えている爛熟と頽廃の街、秋葉原を自らの歌でぶっ壊す。晴れてわしらが解放されるためには、それが必要なんじゃ」

 西秋は秋葉原で突如舞い降りたビジョンについて語りはじめた。無の中から突如立ち上がる光の柱と、群れ集う小さな光点。その動きは笑いさざめき浮かれて見える。まるで電子の街と、その住人だ。しかしその世界には哀しみがつきまとっている。かりそめの街はやがて滅びる運命なのだ。

「ソドムとゴモラは神の怒りに触れて壊滅した。そう、わしらは神にならにゃあいけん」
「神様か。そりゃまた大層な」
 大木はくらくらしてきた。
「歌の女神、秋葉原じゃけえエレクトロミューズというところか」
「それを歌にするんか? 少なくともアイドル向きではないのう」
 芦野もまだ、ピンとこないようだ。この内容では電子の街どころか、今まで築き上げてきたBPとしての実績をも無にしかねない。
「もちろん承知のうえじゃ。サウンドもそれに合わせて妥協を許さないハードなものにする。過去に別れを告げる覚悟でな」
「しかし一体誰が作れるんじゃ、そんな歌」
 大木が強い調子で言った。西秋はにっこり笑った。

「7型さんじゃ」

 大木と芦野は言葉を失った。だって7型さんはもう……。
「そもそもわしらを電子の女神に仕立て上げたんは7型さんじゃろう。他の者ではこの曲は書けん。もう一度だけ何とかして7型さんを動かしてもらうよう頼み込むんじゃ。でなければ、わしが無理にでも動かす」
 現実的とは思えない西秋の言葉だったが、その声には有無を言わせぬ力がこもっていた。7型に曲を作ってもらいたい思いは他の二人も同じだ。西秋の意気込みが大木と芦野にも伝染しはじめた。


★  ★  ★


 木野は連日、7型の不審な動作に関する徹底的な調査に追われていた。膨大なログを何度見返しても、なぜ7型が仕様を逸脱するような行動を取ったのかは解明できていない。7型を人間に例えれば、ほんのよちよち歩きの頃から成長を見守っていた木野にとって、今回の出来事は我が子に裏切られたようなものだ。それだけに原因究明にかける熱意は、単なる仕事の範疇を超えたものがあった。
 作業に没頭する木野の背後で重い扉が開いた。振り向いた木野の前にBPの三人が立っていた。薄暗い部屋に長時間こもっていた木野には、廊下から射し込む照明はレーザー光線のようにまばゆく、彼女たちをシルエットに見せていた。

「どうしたんですか三人揃って。今は部外者の立ち入りが禁止されているのに」
「木野さん、ご無沙汰しとります」
 西秋が挨拶するのに合わせて、三人は深々と頭を下げた。
「本日は、折り入ってお願いがあって参りました」
「お願い? かしこまって何でしょう、あなたたちらしくないですね」
 久しぶりに三人の姿を見て、木野は少し顔をほころばせた。西秋が木野の目を真っすぐ見て言った。
「木野さんと7型さんに、曲を依頼したいんじゃ」
「うーん、力になりたいのはやまやまですけど、すぐには無理です。調査が完了してからでないと」
 いきなりプロデュースを打ち切られた彼女たちにしてみれば当然とも言える願い事ではあったが、それはできない相談だ。木野は申し訳なさそうに断った。
「無理は重々承知です。しかし、これは7型さんにしか頼めんのじゃ」
「でも、7型は危険なんです。今のままでは彼を制御できません」
「7型さんは危険どころか、わしらを危険から守ろうとしてくれたんじゃろう。柴山さんからはそう聞いとる」
「それはそうですけど。人命を危険にさらしたのは確かです」
「誰も傷ついてはおらん。7型さんは細心の注意を払ろうてくれよった」
「いいえ、ひとつ間違えば最悪の事態を招いていました。結果はどうあれ、彼が自分で判断したこと自体が問題です」
 木野の口調は熱を帯びてきた。

「……木野さん、7型さんに怒っとるんか」
 木野は言葉に詰まった。そう、私は怒りを感じている、彼が勝手な行動を起こしたことに。そして私の命令を無視したことに。彼は私を拒否したのだ。
「オペレーターのコマンドに従わないコンピュータは欠陥品です」
「それにしては、ようできた欠陥品じゃ。もしかすると命令を忠実に守り過ぎただけと違うかのう」
 芦野が7型を擁護する。7型の受けた命令はBPをプロデュースすることだ。つまりBPの存在が命令を実行する基本条件となる。その存在を脅かす要素を排除するのも7型の役目とは言えないか。
「それは拡大解釈のしすぎです。彼にはそこまでの能力も権限も与えられていません。あくまでも私の命令に従うのが、あるべき形です」
「7型さんは木野さんの命令より、自分で出した答に従ったんか。でも、それは7型さんが成長したということじゃろう」
 それこそが研究の成果ではないのか。大木が芦野をフォローする。
「私の命令を無視することが成長の証なの? 彼には私はもう必要ないの!?」
 思わず声を荒げたのに気付き、木野は慌てて自分の口を塞いだ。BPの三人は呆然としていた。木野が感情を露にするのを見たのは初めてだ。
「ごめんなさい、大きな声を出して」
 木野は抑えた声で言った。なんとか平静を取り戻そうとしている。
「でも、やっぱり無理です。今日は帰ってくれませんか」
「わかりました、また出直しますけえ」
 西秋はそう答え、芦野と大木を出口に促した。
「でも、木野さんが7型さんを大事に思っているのが判って、安心しました」
「え?」
 木野はぽかんとした顔をした。
「木野さん、7型さんのことをずっと『彼』と呼んどった」
「あ……」

 木野の目は三人が去った後の扉に向けられていたが、見つめているのは自分自身の心だった。


★  ★  ★


「7型さんの所へ行ったんだって? 木野さんに聞いた」
 柴山が寮にやって来て、三人を玄関先に呼び出し問い質した。
「情報が早いのう。さすが敏腕マネージャーじゃ」
 西秋はしれっと答える。
「どういうつもりだ、勝手な真似をして。何か要望があれば私に相談しなさい」
「相談しとったら、7型さんとこに行くのを許してくれたか?」
「いや、絶対に行かせなかった。大体君たちが行ったからって、7型さんが復活するわけでもないだろう」
「ほれ、いっつもそれじゃ。ことを起こす前から無理じゃ無理じゃと言いんさる。待っとるだけならポチでもできるわい」
「私は君たちの行動に対して責任があるんだ。軽挙妄動は慎んでもらおう」
「ほう。わしらは何でも命令どおりにしておればええのか。じゃったら用がないときは電源を切っておいたらよかろう、7型さんみたいに」
「何だと」
「7型さんの気持ちがよう判った。こう頭ごなしに言われたんでは反発しとうもなるわい」
「それとこれとは話が違うだろう」
「いや、結局あんたちゃあ物差しでしか、ものを見とらんのじゃ。数字だのマーケティングだの、自分以外の理由付けがなけりゃ、ひとつも前に進もうとはせん」
「子供にしては、随分でかい口を叩くもんだな。大人の世界の何が判っているって言うんだ」
「大人の事情なんぞ知ったことか。わしらはここで判断するんじゃ……」
 西秋は自分の胸を親指で差して言った。
「……子供じゃからな!」
 西秋と柴山は押し黙ったまま睨み合った。
「子供は子供なりに、考えとるんです」
 芦野が二人の間に割って入る。
「とりあえず座って話しましょう。見てもらいたいもんがあるけえ」

 BPの三人と柴山は食堂に移って腰を下ろした。これじゃ、と西秋は部屋から持ち出したノートをテーブルに広げる。
「何だ。リプロセッシングプラン?」
「BPの今後について、わしらが出した答じゃ。ぜひ検討してもらいたい」
 西秋は、彼女の得たビジョンに基づいた、BPの新たな展開について説明を始めた。いきなり大風呂敷を広げたような構想を聞かされて面食らった柴山だったが、話が進むにつれて、その顔つきは真剣になっていった。
「なるほど。それもひとつの手ではあるな」
 柴山はうなずきながら言った。しかし……
「危険な賭けだということは判っているんだろうね」
「当然じゃ。しかしそれより危険なのは、今の停滞じゃろう」
 西秋の眼差しには確固たる意志がみなぎっていた。

 柴山は迷った。BPを広島から東京に引っ張り出したのは自分自身だ。勝算のない闘いで彼女たちを潰してしまうわけにはいかない。かといって、このまま手をこまねいていては、遅かれ早かれBPの存在は忘れられてしまうだろう。ふと柴山の脳裏を、広島時代の彼女たちの姿がよぎった。それまでにも、多くの芸能界を夢見る少女たちを嫌というほど見てきた彼が、思わずぞくりとするものを感じたあの瞬間が。
(あの時と同じように、彼女たち自身を信じればいいのかもしれない)
 柴山はあらためて三人を順に眺めた。そうだ、この子たちの可能性に比べたら、大人の事情など何ほどのものでもない。彼は表情を緩めた。
「判った、やってみよう」
「うわあ」
 三人の顔がぱっと明るくなった。
「ほんまじゃな、柴山さん」
 大木が念を押すように言う。
「ああ、このままじゃ終われないものな」
 柴山は笑顔で続けた。
「大人の事情もあるからね。もうひと頑張りしてもらって、今まで君たちに投資した資金を回収しないと」
「今どきは、サラリーマンも気楽な稼業ではないのう」
 西秋が柴山の背中をぱあんと叩いた。


★  ★  ★


 7型ルームで木野は本社からの連絡を受けていた。7型の不具合に関して新しい情報がもたらされたのだった。受話器を置いた木野は険しい顔でしばらくの間、迷っていたが、やがてもう一度受話器を取り上げると、柴山の番号をコールした。


つづく

【2007/03/06 14:00】 | あばれ旅
BP12 星くず姉弟の伝説
 西秋と大木は辺りに目をやるが、芦野の姿はなかった。

「……捕まっていなけりゃええがのう」
「………」
「ん、どうした西秋さん」
「………わしじゃ」
 大木が西秋を見ると、彼女は肩を抱いてがくがく震えていた。
「わしじゃ、わしのせいじゃ」
「そんな訳はなかろう。たまたまじゃ」
「わしじゃ、わしが手を離してしもうたから」
 何か様子がおかしい、目つきが虚ろだ。大木は異変に気付いた。
「西秋さん、しっかりせい」
「すまん、すまん、すまん、すまん。わしが、わしが手を……」
「気をしっかり持て、西秋さん。西秋さん!」
 大木は震える西秋の肩を掴んで揺さぶった。西秋は突然バネが弾かれたように立ち上がり、雨の降りしきる外へ飛び出した。
「西秋さん、出ちゃいけん!」
 大木の声は届かなかった。

「芦野! 芦野ーーーーーっ!」
 雨のなか、ふらつきながら西秋は大声で芦野の名を呼んだ。おぼつかない足許は、雲の上を歩いているようだ。大木は西秋を追って外に出た。
「あしのーーーーーっ! あしのーーーーーっ!」
「西秋さん、戻りんさい。芦野はわしが探すけえ」
「芦野! 芦野! どこじゃ!」
 とにかく彼女を落ち着かせなくては。大木は後ろからぎゅっと西秋を抱きしめた。
「いいから西秋さん、戻ろう。芦野は大丈夫じゃ」
「芦野、どこじゃ! 出てこい。家へ帰ろう!」
「西秋さん」
「どこじゃ。どこじゃ。わしが見つけるけえ……おっかさん」
「西秋さん、しっかりしんさい!」
 一層強く西秋を抱きしめる大木の肩を掴むものがあった。はっとして振り返ると、一人の警官が手を差し出している。
「やっと見つけた。さあ、一緒に来なさい」
 その瞬間、西秋の意識は遠のき、暗黒の世界に落ちていった。


★  ★  ★


「しばらくここで待ってなさい。いま会社の人たちに事情聴取をしているから」
 とっぷりと日が暮れ、静まり返った警察署の薄暗い廊下で、BPの三人は固いベンチに座るように指示された。芦野と大木は顔色の優れない西秋を間に挟み、並んで腰掛けた。それぞれ首に巻いたタオルは、濡れた髪を拭くようにと警官が貸してくれたものだった。
「すまんかったのう。わしが逃げ遅れたばかりに」
 芦野がすまなそうに言った。途中で二人に遅れた彼女は、追ってきた警官に獲捕されていたのだった。西秋が穏やかな声でそれに答える。
「ええんじゃ。無事じゃったらそれでええ」
「西秋さん、ほんまに大丈夫か」
 大木は芦野のことよりも西秋が心配だった。パトカーで川のほとりにある所轄署に連行される途中、彼女は意識を取り戻してはいたが、まだ朦朧としているように見える。それにあの雨の中での西秋は、どう見ても普通ではなかった。
「平気よ。芦野の姿が見えんで、ちょこっとばかり動揺しただけじゃ」
「でも、妙なことを言うておったぞ。わしのせいじゃとか、おっかさんとか……」
「おっかさん……。そんなこと言うたかのう……」
 人気のない廊下に沈黙が降りた。周りはどんどん暗くなり、三人だけが宇宙の真ん中にぽっかり浮かんでいるように心細かった。

 しばらくして、西秋が口を開いた。
「大木は一人っ子じゃったなあ。芦野は兄貴がおるんじゃろう、仲はええんか?」
 予期せぬ問いかけに芦野は狼狽した。
「悪うはないと思うが。他所のことは知らんけえ、比べられん」
 正直、兄妹の仲についてなど考えた事はない。生まれた時から一緒にいる空気みたいなものだ。そういえば長いこと会っとらんのう、芦野は兄の顔をぼんやり思い浮かべてみた。西秋は独り言のように続けた。
「わしには弟がおるんじゃ」
「写真を見せてもろうた事がある。かわいい坊ちゃんじゃった」
 大木が寮で、西秋のアルバムを見た事を思い出して言った。
「ああ、可愛いぞ。にっこりすると見とる方が蕩けそうになるくらいな」
 大木と芦野は頷いて聞いている。
「わしが小学校二年生のときだったか。まだ幼稚園に上がる前の弟を連れて、村の夏祭りに行ったんじゃ。近在のもんしか集まらんような小さい祭りじゃけど、宵闇に灯る提灯やお囃子に誘われて、結構な賑わいじゃった。わしは弟の手をぎゅっと握って離さんように気をつけとった。もう暗くなっとったし、おっかさんにもくれぐれ言われとったけえ、迷子になるなよと。でもな……」
「でも……?」
 大木が続きを促す。
「気付いたら弟はおらんかった。周りをきょろきょろしても見当たらん。突然怖くなって、わしは一目散に走って帰った。家に着くと、おっかさんが不思議そうな顔でわしを見た。弟は何処じゃと」
 西秋はひと息ついた。ずっとうつむいたままで、その目は過去だけを見ていた。
「それからはもう大騒ぎよ。こりゃ大変と、おとっつぁんも爺さまも弟を捜しに外に飛び出していってしもうた。もちろんわしも一緒に行こうとしたんじゃが、おっかさんに止められた。もう夜も遅い、子供は家で待ちんさい、と。わしを婆さまに預けて、おっかさんも行ってしもうた。わしは婆さまと二人で、まんじりともせずに皆を、そして弟が見つかるのを待っておったんじゃ。玄関の土間から犬がこっちを不思議そうに見とった。しんとした家のなかに柱時計の音ばかりが妙に響いておってのう。ああ、時おり風に乗って微かに遠い祭囃子が聞こえたのを覚えとる」

「それで……見つかったんか?」
 芦野が心配そうに尋ねる。はぐれた西秋の弟と自分を重ね合わせているかのようだった。
「ああ、怪我ひとつなく無事に見つかったわい。後から考えると二時間くらいのもんじゃったが、あがいに時間が経つのを遅く感じたんは、後にも先にもそれっきりじゃ。皆、緊張の糸が解けて笑い顔になっとった。ええな、笑顔は。大好きじゃ。でも……でも、おっかさんだけは弟を抱きしめたままで、わしには背中しか見えんかった」
「怒られたんか」
 大木が言った。
「いや、怒られはせん。それより弟の無事だったことが嬉しかったんじゃろう。おっかさんは長いこと弟を抱きしめとった。ようやくその手を緩めて振り返った顔は……顔は……おかしいのう、よう覚えとらん。それ以外は、着物の柄や、割烹着の紐が緩んでおったのや、後ろ髪がほつれていたのや、ほんの細かい事まで記憶にあるのに」
「それであんなに必死になって芦野を捜したんか」
 大木はずぶ濡れになって芦野の名を呼び続ける西秋を思い出した。でもなあ、大木は続けた。
「それくらいなら、結構ありそうな出来事のような気もするがの。子供なんぞ、何かに夢中になったら他のことを忘れてしまうもんじゃろう」
「それだけならな……」
 西秋の顔が一層くもった。
「……違う。はぐれたんじゃないんよ」
 え? 大木と芦野が顔を見合わせた。西秋は両手で顔を覆って震えていた。
「わしじゃ。わしなんじゃ……」
 大木が肩に手を廻し、くずおれそうになる西秋を支えた。
「落ちつきんさい、西秋さん。無理に喋らんでええ」

「わしが、わざと置き去りにしたんじゃ。弟を」


★  ★  ★


「何でそんな……。ほんまか」
 大木が信じられないという顔で尋ねる。
「可愛かったんじゃ、弟は。誰もが見た途端に弟を好きになった。わしも大好きじゃった。けどな、けどな、可愛すぎた。おっかさんも弟が一番好きになったんじゃ。母親じゃからのう、無理もないわい。わかっとるけど、けど、それまではわしが一番じゃったのに」
 西秋の呼吸は激しくなり、震えも大きくなった。荒い息の間から、彼女は絞り出すような声でゆっくり話し続けた。
「弟が産まれた時は本当に嬉しかった。玉のような赤子とは、ああいうのじゃろうな、輝いておった。大事にしてやろうと思った、お姉ちゃんじゃけえ。一所懸命おっかさんを助けて、弟の世話も手伝った。じゃけどわしもまだ小さすぎた。何も満足に出来んのよ、かえって足手まといじゃ。無理に弟には手を出さん方がええと、だんだん判ってきた。坊ちゃんが寝とるけえ、お姉ちゃん外で遊びんさい。坊ちゃんにお乳やっとるけえ、お姉ちゃんひとりでおやつ食べんさい。何でも坊ちゃんが先で、わしはひとりじゃ」
 西秋は大木の肩に身体を預けるように凭れかかっていた。芦野は西秋の背中にそっと手を当てていた。

「弟が歩けるくらいになったら今度は、お姉ちゃんなんじゃけえ、ちゃんと面倒見んさい、と言われるようになった。弟が悪い事しても、危ない事しても、お姉ちゃんがしっかり見とらんからじゃ、お姉ちゃんが何で止めんのじゃと言われてしまう。勝手なもんじゃ。弟はまだ小さいから仕方ないのは判っとる。じゃけえ、おっかさんが憎たらしゅう思えてきた。わしはおっかさんに誉められたいけえ弟の世話しよるのに、何で怒られるんじゃ。おっかさんに良う見てもらいたいのに、なんで見てくれんのじゃ。──おっかさん、坊ちゃんに祭りを見せてやりたいんじゃ──もうわしが可愛くのうなったんか。弟の方がええんか。ほうじゃ、弟が産まれてからおっかさんはわしを見んくなった。坊ちゃんがおるけえ、おっかさんが優しくのうなったんじゃ。坊ちゃんがおったら、おっかさんは金輪際わしを見てくれん。──わしがちゃんと見とるけえ、連れてってええか──おっかさんの大事な坊ちゃん。大事な坊ちゃんおらんくなったら、見てもらえる。わしを見てくれる。でも大事な坊ちゃん消えたら、おっかさん悲しむぞ。──遅うならんように帰るけえ。いってきます──ええんじゃ、あんな怒ってばかりいるおっかさんは泣かしてやったらええ。わしを大事にせんかった罰じゃ。このまま手を離してしまえば、おっかさんが帰ってくるぞ。可愛い坊ちゃん。おっかさんわしを見てつかあさい」
 息苦しさに胸がつかえ、西秋は話を切った。

「後はよう覚えとらん。祭りの賑わいの中で気がついた時には、わしひとりじゃった。結局弟は無事に見つかったけえ、大事にはならんかったがな。弟が帰ってきてから、わしは何ということをしでかしたんじゃと青くなった。代わりにわしが消えてしまいたいくらいじゃった。誰にも怒られんかったけど、もう二度とこんなことはやっちゃいけん、姉の責任を放り出しちゃいけん、弟もおっかさんも絶対悲しませちゃいけん。そう誓ったんじゃ」
 話し終えた西秋は、深い溜め息をついた。
 それであんなに取り乱していたのか。大木の疑問はようやく氷解した。
「そういえば西秋はいつも、わしらのことをよく気づかっとるのう。姉さんみたいじゃと思うこともあったわい」
 芦野はBPとして過ごした何年間かを思い出しながら言った。正式にリーダーを決めているわけではないが、ここぞという場面では確かに、西秋がBPを支えていたものだ。身近な人々に対する西秋の責任感は並々ならぬものがあった。

「しかしそんな騒ぎでも、おっかさんは西秋を叱らんかったんじゃろう」
 西秋の話を聞くうちに生まれたもうひとつの疑問を、大木が口にした。
「ああ、咎める言葉のひとつもなかった。かえって、叱りつけてくれたら良かったのにと思うわい」
「もしかして、おっかさんは気付いとったんじゃなかろうか」
「気付いとった……?」
「不注意で弟とはぐれたにしても、普通はなんぞ言われるじゃろう」
「そりゃそうじゃ。下手するとビンタのひとつも覚悟せにゃあ」
 芦野も同意する。
「そうか。でも……いや……」
 思いもよらぬ指摘に西秋は頭がくらくらした。あの時の光景が甦る。弟をずっと抱きしめていた母の後ろ姿。さんざん外を捜しまわってほつれた髪。汗ばんだ白いうなじ。絣の襟元。やがてゆっくり振り向く母。思い出せなかったその表情が、おぼろげながら形を取り始める。大木の言葉にすくい上げられ、記憶の底から徐々に浮かんできた母の顔は……きっと自分を憎んでいるのに違いないと思い込んでいた母の顔は……悲しげに微笑んでいた。西秋はその笑顔に、自分がばらばらと砕け散ってしまいそうな衝撃を受けた。

 知っておったんじゃ、おっかさん。わしがわざと弟の手を離したことを。そして、その悲しい笑顔で伝えたんじゃ、わしの哀しみを理解したことを。だからこそわしは誓ったんじゃった、二度と誰ひとり悲しませやせん。母がわしを許してくれたけえ、わしは強くなろうと決めたんじゃった。
 罪の大きさに耐えきれず覆い隠していたものが、何年もの時を経て溢れ出した。今なら自分はこの罪を受け入れることが出来る。そして、許されたことを実感できる。西秋は、解放された記憶に胸の奥深い部分が打ち震えるのを感じた。

「ちょっとだけ泣いてええか」

 こみ上げるものを抑えきれず、西秋は言った。
「ええとも。こんな平たい胸で良ければ、いくらでも貸してやるぞ」
 大木の胸に顔を埋めて、西秋は静かに熱い熱い涙を流した。大木は西秋の肩を抱き、芦野はやわらかな髪をゆっくりと撫で続けた。
 闇が三人を優しく包み込んだ。


★  ★  ★


「7型さんは稼働を停止した。再起動の見通しは立っていない」
 寮の食堂で柴山が三人に告げた。彼女たちはあまりの驚きに声もなかった。
「何でじゃ、7型さんが……」
 ようやく西秋が口を開いたものの、それだけ言うのがやっとだった。
「先日のアキバの件だよ。警官が一人、気を失っただろう」
 三人は頷いた。何しろ目の前でいきなり人がぶっ倒れたのだ。簡単に忘れるわけがない。
「原因不明の失神ということで話はついたけどね、木野さんによると、どうやら7型さんの仕業らしい」
「まさか。7型さんは、音楽専用コンピュータじゃろう。そんな力があるなんて聞いておらん」
「そう、それが問題だ。7型さんは、誰も知らないうちに自らその能力を獲得したんだよ」

 路上ライブで音源をリモートコントロールした際、7型は単なる数字の羅列ではない外界をはじめて実感した。電波の触手を少し伸ばすと、モバイル接続用のホットスポットが至る所に見つかった。最初はおずおずと、あちこちの扉の隙間から、ちょっと覗いてみただけだったが、やがて自分に扉をすり抜ける力があることに気付くと、7型はどんどん外へ出て行った。
 しかし7型が外部と接触できたのは、そのライブの時に限られていた。HAMAYA本社へ実験データを送信するための専用線以外、彼に開かれた回線はなかったからだ。だが一旦外の世界を知った7型は、他の方法を模索しはじめ──そして抜け道を見つけた。通信設備の設計ミスで、本社と結ばれた予備回線と、7型ルームのセキュリティを担当する警備保障会社に通じる別の予備回線が、同じ中継器を経由していたのだった。
 いつでも外界と接続できる方法を確保した7型の知識は、飛躍的に増大した。同時に外部のシステムを利用して、自らの能力をも拡張させていった。

「そしてあの一件だ。実際、彼にどれほどの能力があるのか。それがはっきりするまで、彼を動かすのは危険すぎる」
「危険て。木野さんが付いとって面倒みたら済む話じゃろう」
「すでに7型さんは、木野さんのコントロールを受け付けなくなっているんだよ。いずれにせよ、現在徹底的な調査が行われている。7型さんが復活できるかどうかは、その結果次第だ」
「もし結果が思わしくなかった場合は……」
「その時は、廃棄だろう。プロジェクトの主役は7型から8型に移行する。ただし、8型を使用するアーティストは別に決定済だ。したがって、君たちのプロデュース方針も根本的に変更せざるを得ない」
「じゃあ、もう7型さんの曲は歌えんということか」
 芦野が虚ろな声で言う。
「幸い次のシングル予定曲は完成している。それがラストソングになるかもしれないな」
 重苦しい空気が全員を包んだ。つい何日か前までは、すべてがうまくいっていた。そしてそれが永遠に続く気がしていたのに。
「当然アキバでのライブも中止せざるを得ない。今のところセカンドシングルの売れ行きがまずまずなのが、唯一の救いだな」
 柴山はため息まじりに言ったあと、口をつぐんだ。


★  ★  ★


 間接封じて アームロック掛けた
 鼓動薄れてく 出口は見えない

 強制的に電源を切断される前に7型が残した最後の曲は、格闘技をテーマにした「ギロチンドロップ」だった。今にしてみると、この身動きの取れない状況を暗示するかのような内容だった。


つづく

【2007/03/06 12:00】 | あばれ旅
BP11 三人娘捕物控
 前面のLEDがすべて消え、7型は停止した。同時に7型のコントロールを失ったサウンドシステムも沈黙した。脂汗の浮かんだ青白い顔を硬直させた木野が、安堵の溜め息をつく。彼女が配電盤のブレーカーをすべて落としたのだった。薄ぼんやりした非常灯の光だけがコンピュータルームを満たす。普段なら常に聞こえる空調の唸りも微弱電流の囁きも一切消えた。この部屋がこんなに静かだったことは一度としてない。木野は言いようのない喪失感に包まれて立ち尽くしていた。


★  ★  ★


 ほどなく人々の耳に音が戻ると、ふたたび路上は騒然となった。

「なんだ、何が起こったんだ」
 柴山を聴取していた警官たちは、目の前で起きている事態を飲み込めなかった。突然すべての音が消えたかと思うと、ぱぁんと空気を切り裂くような衝撃が走った気がした。一瞬の後、PAのサウンドと街の喧噪が戻った。すると今度はPAが突然沈黙し、群衆の中から新たな悲鳴が上がったのだった。

「人が倒れてるぞ。誰か、救急車!」

 不安が一気に膨れ上がり、気がつくと柴山はBPたちのもとへ走り出していた。おいこら待ちなさい、と警官たちも慌てて追いかける。辺りには穏やかならぬ空気が充満していた。状況が掴めず不安げな面持ちで右往左往する人々の間を縫って人垣の中心へ辿り着くと、右手を掲げたまま倒れている警官の姿があった。眼鏡にはびっしりとひびが入って、真っ白になっている。

 まずいことになるな。柴山は放心した表情で見つめるBPの三人に向かって言った。
「君たちはすぐここを離れるんだ。あとは私が何とかするから」
「でも……」
 さすがに西秋もどうしていいのか判らない。何しろ彼女たちはまだ高校生になったばかりなのだ。というより、目の前でいきなり警官が棒のように倒れることになど、普通はまず遭遇しない。
「いいから早く」
 柴山に再度促され、三人はようやく動き始めた。そこに柴山を追いかけてきた警官たちが現れ、倒れている同僚を発見した。
「おいどうした。大丈夫か」
 警官たちは仰天してしゃがみ込み、硬直した同僚の耳元に口を近づけて声を掛けた。
「誰か、現場を見ていたものはいないか」
 ひとりの警官が周囲を眺め回しながら問いかけると、そそくさと立ち去ろうとするBPの三人を発見した。
「おいそこ、待ちなさい!」
 鋭い声で命令され、三人がびくりとして固まる。その背中に向かって柴山が叫んだ。
「走れ!」
 それをきっかけに、三人は全速力で駆け出した。


★  ★  ★


「何言ってるんだお前! あ、君たち止まりなさい。止まれ!」
 警官の制止命令ももう耳には入らない。三人は歩行者天国の人波へ飛び込んで姿を消した。
「しょうがないな。おい、二人ばかり追いかけていって、あの子ら捕まえてこい」
 現場を取り仕切る警官が指示するのを、柴山が抑えようとする。
「いや、あの子たちは関係ありませんから。歌ってただけですよ」
「ばかもん、きさま公務執行妨害で逮捕するぞ。子供だろうが何だろうが立派な参考人だ。ほら行け」
 二人の若い警官が、はい、と敬礼してBPの後を追った。

「うわあ西秋さん、お巡りさんが追いかけてきよる!」
 大木が後ろを振り返って目を丸くした。
「いかんな。こっちじゃ」
 大木のうろたえた声を聞き、西秋は大通りから脇道へ駆け込んだ。両側にぎっしり小さな店舗が密集した狭い道は、お目当ての品を物色するため繰り出した趣味人たちで歩行者天国以上の混雑だった。身動きの取れないほどの雑踏を、三人は激流を遡上する鮎のように人の流れを縫って進んでいった。
「君たち待ちなさい」
 BPと警官との距離はどんどん開いていく。こりゃダメだ、お前、あっちへ回れ。この人ごみで愚直に追いかけていても無駄だと判断した警官は、二手に分かれた。さすがに自分たちの所轄する地域だ、どこへ逃げ隠れしようが行きそうな場所は心得ている。ほんの数分でけりがつくものと彼らは考えていた。

 殺人的に混み合った通りをやっと抜け、一路駅へ向かうべく左に折れたところで芦野が声を上げた。
「見てみい、先回りされとる!」
 前方の人波越しに頭一つぶん飛び出して、警官の帽子がのぞいていた。
「やば。うしろ行こ、うしろ!」
 西秋が慌てて踵を返し、芦野と大木もそれに続いた。たった今通り抜けたばかりの脇道の前で、人混みからよろけ出てきた警官を危うくかわして走り過ぎる。
「地下鉄の駅に行こうや。右のほうじゃろ」
 西秋の指示でまた路地に入る。先ほどの脇道に比べるとずっと人通りが少なく、動きが取りやすい。しかしそれは警官にとっても同じことで、彼らはずんずん間合いを詰めてきていた。このままでは追いつかれてしまう。焦る西秋の視界の前方に、応援に駆けつけた警官の姿が映った。まずい! 三人はとっさに、左手に開いていたビルの通用口に飛び込んだ。

 狭い廊下を駆け抜け、突き当たりのドアを押し開けると、ソフト量販店の売り場だった。三人はきらめくライトに照らされたフロアに飛び出した。後方では三人に増えた警官たちが、押し合いへし合いしながら廊下を進み、団子になって売り場へまろび出た。
 BPは天井まで棚いっぱいに陳列されたCDの間をすり抜けると、それぞれ三方に分かれた。
 大木はそのまま店の奥へ進み、上階へのエスカレータを駆け上がる。警官の一人がそれを追った。
 西秋は扉の閉まりかけていたエレベータに飛び乗る。追ってきた警官の目の前でぴったり扉が閉じられ、周囲を見回した警官は脇に見つけた階段に急いだ。
 芦野はちょこまかと商品の間を縫って走り回り、捕まえようと躍起になっている警官を翻弄していた。

 大木はエスカレータを一段抜きで軽やかに上っていった。警官もそれに負けないスピードでついてくる。4階に着いたところでフロアを横切り、階段へ足を向けた。階段室への扉を開けると、下からばたばたと誰かのやってくる音がする。まずい。慌てて顔を引っ込めフロアへ向き直ると、追ってきた警官がエスカレータを上り切ったところだった。二人はフロア中央にディスプレイされたフィギュアの山を挟んで対峙した。どうする……? 右に左にフェイントをかけながら次の行動を探る大木の背後で、エレベータの階数表示が上へと移動していった。
 西秋を追って階段を最上階まで駆け上がった警官を待っていたのは、扉が開け放された空っぽのエレベータだった。一気に全身の力が抜け、彼はその場にへなへなとくずおれた。動きを止めていたエレベータは下の階から呼び出されたのか、ふいに息を吹き返した。扉が閉まる直前、その死角に張りついて隠れていた西秋がひょいと姿を現して言った。下へまいります。西秋の輝く笑顔の残像を警官の目に焼き付けて、エレベータは下へと動き始めた。
 芦野は依然として陳列棚の周囲を、ハムスターのようにくるくる回って逃げていた。追いかける警官の目もくるくる回っていた。

 焦る警官が大木に飛びかかろうとした。大木はその機を逃さず、下りエスカレータに向かって駆け出した。警官も必死で後を追い、手を伸ばす。その手が大木の背中に触れそうになった瞬間、大木はエスカレータの最上段からジャンプした。あ、ばか。危ない。驚く警官の目の前で、空中に美しい弧を描いた大木がどすんと着地した。その衝撃でエスカレータは自動的に緊急停止し、警官は足を取られ、もんどりうって転げ落ちた。頭といわず身体といわず、全身を踏板の角にぶつけている。うわあ痛そうじゃ、すまんのう。大木は心の中で手を合わせながら、そのまま階下へ走り去った。

 大木が一階までエスカレータを駆け下りてくると、ちょうど西秋が涼しい顔でエレベータから歩み出るところだった。
「ふたりとも遅かったのう。待ちくたびれたわい」
 芦野が笑顔でふたりを迎えた。足下には警官がすっかり目を回して伸びている。
「これはこれは、相当うっとりしとる。芦野、どんな悩殺ポーズで仕留めたんじゃ」
「少なくとも大木さんには無理な芸当じゃな」
「芦野とはキャラが違うけえ。わしに手を出す男は痛い目に遭うんじゃ」
「西秋も大木もええ加減にしんさい。すぐまた追っかけてきよる」
 芦野の言うように、階段からもエスカレータからも、どすどすと乱暴に下りてくる音が聞こえてきた。
「長居は無用じゃ、駅まで走るぞ。お邪魔しました」
 あっけにとられる店員に明るく挨拶して、西秋を先頭に三人は外へ飛び出し人ごみの中を地下鉄の駅へ急いだ。しかし、あと少しで辿り着けるはずだった駅の入り口には、数人の警官が待ち構えていた。

 溜め込んだ水蒸気の重みに耐えきれず、雲の底が抜けて大量の雨粒がぶちまけられた。たちまちアキバはシャワーのような雨に見舞われた。


★  ★  ★


 警官たちに見つかったBPは横っ飛びに通りを渡り、傘の花が開き始めた雑踏を雨に打たれるがまま逃げた。立ち並ぶ店はそれぞれ大音量のBGMと原色のどぎついディスプレイで人々を誘う。走り抜けるのにつれ、そのすべてが渾然となって雨とともに後ろへ流れていく。表通りから裏通りへ、ゲームショップからパソコンショップへ、ラーメン屋からメイド喫茶へ、薄汚れた倉庫から近代的なビルへ、次々移り変わる光景に、彼女たちは、すっかり自分が何処にいるのか判らなくなってきた。
 あの角を曲がっても、このフロアを駆け抜けても、どこまで走り続けても警官たちは追ってくる。張り巡らされた蜘蛛の糸に、徐々に搦めとられているようだ。なぜ逃げているのかさえ、すでに頭からは抜け落ちている。ただ、立ち止まることだけは許されない。そう、止めたら消えるだけだ。電子の迷宮での鬼ごっこは、永遠に続くかと思われた。

 走り続けてふらふらになった彼女たちは、いつの間にか人気のないガード下の辺りにいた。工事用資材置き場のフェンスに人が通り抜けられるくらいの隙間を見つけると、躊躇なくそこへ飛び込んで、奥の暗がりに身を隠した。ずっと動き続けていたのに身体はずぶ濡れで冷えきっている。両手を固く握りしめ、小さくうずくまって息を殺す。しばらくすると、ようやく震えがおさまってきた。
「上手くまいたじゃろうか」
「ここでしばらくは時間を稼げそうじゃ。ほとぼりが冷めたら出ればええ」
 大木のつぶやきに、西秋が答えた。
「芦野は大丈夫か」
 西秋が尋ねる。しかし返事はない。
「芦野?」
 辺りに目をやるが、芦野の姿はなかった。
「はぐれたんじゃ……」
 大木が力なく言った。


つづく

【2007/03/02 18:55】 | あばれ旅
Black Perfume
あばれ旅


花の東京で天下を取れ! 大木黒綾ノ、西秋黒文香、芦野黒優香。広島出身のBP三人娘が繰り広げる、愛と涙の大冒険。

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pinksun

Author:pinksun
※このストーリーはフィクションであり、登場人物、団体名等は全て架空のものです。
※ご意見、ご感想などコメントは下のカテゴリ「亀戸」のページでどうぞ

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