スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告
BP10 風雲!秋葉ヶ原
「あんた、ここの責任者?」
 BPのストリートライブを見守っていた柴山が振り返ると、二人組の制服警官が立っていた。
「あ、はい。そうですけど」
「そう。きつくは言わないけどね、あんまり派手にやりすぎると苦情とか来るからさ。ほどほどにね」
「はい、すみません。注意します」
 まずいな、目を付けられたかもしれん。警官たちの後ろ姿を見送りながら、柴山は難しい顔をした。

 そもそもストリートライブはバンドでさえ大掛かりな機材を使うわけではなく、ましてや多くのアイドル予備軍などはラジカセ一台で済ませているものも多い。BPが使用しているのも必要最低限のPAだが、大きな違いは7型がリアルタイムでコントロールしている点だ。たとえ同じ音圧であっても、音色やエフェクトが完璧に調整された彼女たちのライブは、他とは比べ物にならないクリアなサウンドを実現していた。街ゆく人の興味を惹いて立ち止まらせるために、路上においては7型の力が大きく貢献していたと言えよう。
 BP自身の力とクォリティの高い楽曲に加えて無敵のサウンドを誇る彼女たちのストリートライブは評判を呼び、三ヶ月を経過した頃には毎回百人以上が周囲を取り巻くようになっていた。数あるパフォーマーの中でもひときわ目立つ存在だ。今ではアキバに集まる人々の間で、BPの名を知らぬものはないほどだった。そして、ライブ激戦地であるアキバで、それを快く思わないものも当然ながら少なくなかった。


★  ★  ★


「芦野、大木さん、お疲れさま。今日もお客さんがようけ集まってくれて、ありがたいことじゃ」
 ライブが終わると三人は蜂の穴に戻り、談話室代わりになっている食堂で反省会を開くのが常だった。大木が西秋に話しかける。
「ヲタ芸いうのも、慣れればええもんじゃのう、西秋さん」
「最初に見た時は信じられん光景じゃ思うたけどな。退きまくりじゃったわい」
「じゃけど、いざ自分がされてみると妙な高揚感があるけえ、普段よりのれるんじゃ」
「ただの手拍子じゃあ、物足らんようになってしまうかもな」
 それより──。芦野が口を開く。
「──オタクさんたちは、一人でCDを何十枚も買うてくれるじゃろう。わしゃ、あれが信じられん」
「ほんまにのう。他にもっと大事なもん買いんさいと言いとうなるわい、服とか何とか」
 大木も同意する。応援してくれるのは確かに嬉しいが、見る限りあまり趣味の良いファッションをしているとは、彼女には思えなかった。ほんの少し気を使えば、見た目も全然変わってくるのにのう。
「碇さんは、オタクさんたちの習性を知り尽くしとるんじゃろうな。CDを買い込んでくれるのも、口コミで話題が広がるのも。週末に三十分程度パフォーマンスするだけで、えらい宣伝効果があるわい。侮れん御仁じゃ」
 西秋はもっともらしく言ったが、その後にこう付け加えるのを忘れなかった。
「人間的にどうかは別じゃがのう」
 その日のライブを見ていたマーニャとMondayも興奮していた。
「おそごうなるくらい人がようさん集まってりゃあしたなあ」
「わもがっぱどひとさよびで」
「ほしたら今度はHORNETのライブしよまい」
「んだ。なんたかたすっぺ」
「うーん。悪いがのうMonday、後で手紙に書いてくれんか」
 西秋がすまなそうに言った。
 アキバでの反応の良さに、BPはすっかり気が大きくなっていた。

「キョウモ オオイリ デシタネ」
「ええ、動員は順調に伸びています」
 地下のコンピュータルームで木野がライブの記録を整理しながら7型と話していた。
「野外でのサウンドコントロールには相当慣れてきたようですね」
「ゲンバノ ハンキョウオンノ データガ アツマッタノデ」
「なるほど、周囲のビルによる反響音を利用しているのですか」
 ストリートライブでは周囲の建物に反射した音が演奏を妨害する。谷間状の地形をした路上において、それは避けられない事態だ。7型は微妙に調整された位相の音波をぶつけることにより、通常は邪魔になるはずのそうしたエコーを、音響効果として操作しているのだった。現場のモニタリングから、7型が自ら編み出した手法だ。
 しかし、彼はライブに少々入れ込み過ぎているのではないだろうか。BPとリアルタイムで共同作業できることに浮かれているようにさえ見える。ここのところ曲を作るペースの落ちた7型に、木野は不安を抱いた。


★  ★  ★


 梅雨入りも間近に迫り、鉛色の雲が重苦しくたれ込める週末。いつものように歩行者天国となったアキバにBPが現れた。
「今日は怪しいお天気ですけど、曇り空なんてぶっとばしちゃいましょう!」
 いつもの白いツナギに身を包んだ西秋の煽りに常連たちは歓声で応えた。BPはすっかりアキバに馴染み、そのパフォーマンスは堂々としたものだ。いつも披露する「不機嫌ジェニー」では、それぞれのパートで名前がコールされるようになったし、「レシチン」ではBPと観客が一体となって飛び跳ねる。双方がライブを心から楽しんでいる様が伝わるのか、いつも人の輪はどんどん広がっていく。また他のパフォーマーたちは沸き立つBPの周囲を避けるため、ますます人が集まりやすくなるのだ。この日は二曲目にして観客数はすでに二百を上回る勢いだった。いつもにも増して早いペースだ。
 この賑わいを冷ややかな目で見つめるものがあった。

「面白くねえな。何だあいつらチャラチャラしやがって」
 ここのところ、BPに人気を奪われているバンドのメンバーだった。
「事務所、Confuseだってよ。わざわざストリートなんてやる必要ねえだろ」
 隣にべったり張りついているのもまた、いつもメイド姿でライブをしていたアイドル志望の少女だ。
「プロならハコ借りてやればいいのにね。金あんだから」
「そうそう、ハングリーじゃねえんだよ。俺たちがこの場所を守ってきたのにな」
 この日、二人は自分たちのライブをあきらめ、不貞腐れた様子でガードレールに凭れていた。どんよりした雲が心の中にまで覆い被さっている気分だ。何もかも詰まらない。凶悪なものが身体の奥からじわじわ滲み出してくるようだった。やがて少女が男に、絡み付くような視線を送りながら言った。
「ねえ……潰しちゃおうよ」
「え。潰す? 何言ってんだよお前、どうする気?」
「これ使おう」
 少女はバッグから護身用の催涙スプレーを取り出した。
「風上からこっそり撒いちゃえばいいよ。ねえ、やってよ」
「ちょ、おま、そりゃまずいよ」
 こいつ本気かよ。男は少女の思いがけない言葉に尻込みした。
「何だ。口先だけなんだ、やっぱり」
 一瞬にして少女の目は彼を見下すような色に変わった。
「おかしいんじゃねえの、お前。そういう問題じゃねえだろ」
「言い訳してんじゃないよ。詰まんないの」
「お前もアーティスト志望だろ。だったら音楽で決着を……」
「バカじゃないの。誰がアーティストだってのよ、どっかで聴いたような曲ばっかり演ってるくせに」
「おいこらてめえ。もっぺん言ってみろ」
 極端に沸点の低い男のようだ。
「すっかり客奪われて、もう負けてんじゃん。現実を見なよ」
「あんなのオタクがたかってるだけだろ。音楽じゃねえよ」
「だから見てみなよ。オタクだけであんなに盛り上がると思う?」
「ゴミだよゴミ、商売まみれのクソだ。俺たちはなあ……」
「クソに負けてんの? おっかしー!」
「な……」
「マ・ケ・テ・ン・ノ!」
 男はいきなり少女の手から催涙スプレーを奪い取ると、BPの周囲を取り巻く人波に、乱暴に分け入っていった。

 三曲目の「スウィート・カステイラ」が始まっていた。いつも以上の観客に勢い付いているBPを眺めていた柴山の目に、気になるものが引っ掛かった。人を掻き分けながらぐいぐい前に進んでいく男がいる。妙にぎこちない、不自然な動きだ。革ジャンのポケットから取り出したサングラスを着け、ついに男は最前列まで辿り着いた。回りのファンたちが眉を顰めているのにも、まったく動じる気配はない。男はちょうど正面に位置する西秋に向かい、おもむろに右手を真っすぐ前に突き出した。
(いけない!)
 柴山は男に向かって駆け出した。

 切り分けたカステラを差し出す振付けで、西秋が正面に向かって手を伸ばした瞬間、曲に合わせて飛び跳ねる観客の列が一瞬乱れたかと思うと、後方から黒いジャンパーの男がぬっと現れた。西秋の視線とサングラスで隠れた男の視線が交わり、それを合図にしたように男が右手を真っすぐ前に突き出した。
 西秋の視界が何かに遮られた。

 会場に悲痛な叫び声が響き渡り、同時にバックトラックが停止した。続いて怒号と、揉み合うような騒ぎがヘッドホンに溢れてきた。7型ルームでライブ音声をモニタリングしていた木野には、何が起こったのかまったく判らなかった。
「どうしたの、7型さん。現場で何が起こったの」
 突然、目の前のディスプレイに秋葉原の路上の光景が映し出され、BPのライブをしていた地点がズームアップされた。
「何、これは! どこからの映像?」
「コウツウジョウホウ システムノ カメラヲ シヨウシテイマス」
 まさか。7型は私の知らないうちに外部のコンピュータシステムと交信していたのか! 木野はライブ現場の騒動より、その事実に衝撃を受けた。現場の様子を流し続けるディスプレイの明滅が、薄暗い7型ルームの中で木野の顔を青白く染めていた。


★  ★  ★


 柴山が西秋をかばうような形で男に飛びかかり、同時に腕を激しくはじき上げた。その衝撃で男は横様に倒れながら催涙スプレーを噴射した。硬直した西秋の眼前で柴山と男が揉み合いになり、すぐ横にいた常連の一人がスプレーの直撃を受けた。強い刺激の液体をまともに浴びた常連は痛みに叫び声を上げてのたうちまわり、周囲は一瞬にして修羅場と化した。
 柴山は催涙スプレーから身を守るため、懸命に男の手首をねじ上げる。男は何とか柴山にスプレーを浴びせかけようとして、指をプルプル震わせていた。
 唐突に起こった出来事に呆然としていた観客の中から数人が飛び出し、柴山に力を貸した。男は必死で抵抗するものの、多勢に無勢、たちまち組み伏せられてスプレーをもぎ取られた。そのまま男は回りを取り囲まれて人波の外につまみ出されたが、その間ずっと、言葉にならない叫びを上げ続けていた。ようやく騒ぎに気付いた警官が現れた。

 BPはなすすべもなく、ライブスペースの脇で応援のスタッフとともに三人寄り添っていた。男を連れて行った柴山も警察に同行して事情を聞かれるだろう、さすがにもうライブどころではない。青天の霹靂ならぬ曇天の大事件に、三人は意気阻喪していた。
「とんだことになったのう」
「それより西秋は何ともないんか」
 その瞬間、西秋の背後にいた芦野には、事態がよく飲み込めていなかった。
「ああ、あの時わしの前に柴山さんが立ちはだかってくれたけえ」
 危ないところだったが、柴山のおかげで幸いスプレーの直撃は免れていた。
「柴山さんは立派じゃったのう、マネージャーの鑑じゃ。西秋さん、感謝せにゃ」
 大木の中で、柴山の株は急上昇したようだ。
「随分と大きな借りが出来たわい。柴山さんも無事ならええがの」

 スプレー男は所轄署へと連行され、被害を受けた何人かの観客は病院へ搬送された。また、彼をそそのかした少女は当然のことながら、とうの昔にその場を立ち去っていた。
 騒ぎが収束に向かったのを見届けたように、徐々に人波は退いていった。しかし、ライブが中断されたことで消化不良を起こした気分の常連たちは、立ち去り難い思いだった。五十人あまりの熱心なファンたちは、依然としてその場に佇んだままだった。

「今日はこれで撤収じゃな」
 西秋がそう洩らした時、周囲から声が起こり始めた。
「モーノクロ・モーノクロ・モーノクロ」
 振り返った三人は、まだ現場に観客が残っているのに気付いて驚いた。
「モーノクロ! モーノクロ! モーノクロ!」
 声は次第に大きくなり、熱を帯びてくる。
「モーノクロ!! モーノクロ!! モーノクロ!!」
 一度はその場を離れた人々も、熱い声に引き寄せられるように、ひとりふたりと舞い戻ってくる。手拍子も加わって、BPを求める声援はますます大きくなっていった。三人は戸惑いと喜びとがない交ぜになった気分に揺れた。

「モーノクロ!! モーノクロ!! モーノクロ!!」

 ライブスペースから少し離れた場所で数人の警官に事情を訊かれていた柴山の耳にも、その声が届いた。顔を向けると、人の輪がBPの登場を待ちわびて波打っているのが目に入った。当然、警官もそれに気付く。
「なんだあの騒ぎは。君、あそこ行って中止させてきなさい」
「はあ、そうですね。でも騒いでいるのは私どもではないですし……どうしたものですかねえ」
 柴山は煮え切らない態度で、ぐずぐず時間を稼いだ。彼の理性はライブを中止すべきと訴えていたが、気持ちはそれとは正反対に高揚していた。なんとかもう一曲だけ、皆に聴かせてやりたい。

「モーノクロ!! モーノクロ!! モーノクロ!!」

 どうじゃ。西秋が二人に向き直って問う。
「本来ならやるべきではない状況じゃろう、それは承知しとる。じゃけど、心が騒いどるんじゃ。このままでは終われんと言うとる」
「今日は気が合うのう、西秋さん。わしも何やらムラムラきとるわい」
 大木が不敵に唇の端を上げて答える。
「あんたちゃあ、こんな時ばかりはよう似とるのう……」
 芦野が呆れたように言う。
「……まあ、わしもじゃがな」
「決まりじゃ。後悔しなさんなや」
 西秋がにやりと笑った。

「モーノクロ!! モーノクロ!! モーノクロ!!」

 現場の音声を聞いていた7型が「モノクローム・ヨシモト」をスタートさせた。
「いけない! 止めて。すぐ止めて!」
 木野の命令では再生は停止しなかった。キーボードからコマンドを打ち込もうとして木野は凍り付いた。キーボードは全く反応しなかったのだ。

 PAから「モノクロ」のトラックが流れ出した。
「さすが7型さんは、よう判っとる。さあ行こう、魂のゴングが鳴ったぞ!」
 大木、芦野が西秋の後に続き、三人は揃って観客の前に進み出た。BPは割れんばかりの歓声で出迎えられた。
「皆ありがとう。もう一曲だけやりまーす!」

「なに考えてるんだ。即刻中止だ」
「あ、ちょっと……」
 柴山が止める隙もなく、ひとりの眼鏡を掛けた警官が顔を真っ赤にして人の輪に入っていった。警官はBPの登場に熱狂する人々を掻き分けながらぐいぐい前に進んでいく。最前列まで辿り着いた彼は、演奏を止めさせようと右手を真っすぐ前に突き出した。つい先ほど、スプレーを噴射した男のように。

 密かに交通情報システムのカメラを使って映像をもモニタリングするようになっていた7型が、現場の異常を察知した。7型は過去のデータからその状況を危険であると判断し、直ちに対処した。リアルタイムでコントロールしていた音場を瞬間的に一点へ収斂させ、危険の原因となる要素に対して叩き付けたのだ。一瞬、耳からすべての音が奪われ、観客たちは時間が止まったような感覚に襲われた。同時に警官の眼鏡にぴしりと亀裂が入り、彼は右手を掲げたままその場に昏倒した。


★  ★  ★


 ほどなく人々の耳に音が戻ると、ふたたび路上は騒然となった。


つづく

スポンサーサイト
【2007/02/24 19:00】 | あばれ旅
BP09 狂い咲きセンターロード
「チラシはこがいな具合で良いじゃろうか」
 芦野が手書きのフライヤーを西秋と大木に掲げて見せた。
「おお、ええのう。いかにもオタ心をくすぐる出来じゃ」
「誤字をくしゅくしゅとつぶして、書き直してある辺りが憎いわい」
 西秋と大木がそれを満足そうに眺める。
「うはは。マーニャに指導してもろうた甲斐があった」
 オタのことはオタに訊くに限る。芦野は高笑いした。

 冬も終わりに近づいていた。三人の中学卒業を目前に控えた三月にセカンドシングル発売が決定し、BPはそのプロモーションを兼ね、いよいよ秋葉原でストリートライブを行う事になった。アドバイザーとして碇も交え、スタッフ一同はライブ実施方法についての細かい部分を詰めていた。

「アキハバラハ ホントウニ ダイジョウブ デショウカ」
 7型はここのところ、その心配ばかりしている。
「平気ですよ、柴山さんも碇さんもついていますし。気になるなら音声データだけでなく、ライブ映像もモニタリングしますか」
 映像の解析機能が7型に備えられていない事を知りつつ、木野はそう答えた。日に何度も繰り言めいた心配を聞かされ、いささか気に障っていたのだった。しかし、なぜ7型の言うことに人間である自分が気持ちを左右されるのか。コンピュータをいつしか対等の存在として感じ始めているのに気付き、木野は狼狽した。これは7型が変化していることを示すのか。それとも自分が?
「7型さんも、もうちっと小さかったら連れて行けるのにのう」
 西秋が慰めるように声を掛けると、7型は照れたようにLEDをぴかぴか点滅させた。
「でも、こんなコンピュータがアキバに出掛けたら、物珍しくてあっと言う間に分解されそうだね」
 横から碇が混ぜっ返すが、大人げない言い方はやめんさいと西秋にたしなめられ、ばつが悪そうに下を向いた。
「アリガトウ ニシアキサン」
 自分に対する感情を認識するばかりか、感謝の意識まで生まれている。やはり7型はさらに進化し続けている、木野は確信した。しかし、もともと7型にそんな潜在要素は与えられていないはずだ。7型の思考パターンを決定するロジックの基本的な部分から見直す必要があるかもしれない。

「では明日からHORNETの公式サイトにも告知を掲載しよう。一週間後が本番だ」
 柴山が会議をまとめた。いくら細かく打ち合わせをした所で、路上では何が起こるか判らない。結局成功の鍵を握るのは的確な状況判断と迅速な行動だ。いよいよ現実味を帯びてきたその時への緊張感が、早くもBPたちを興奮させていた。


★  ★  ★


 ストリートライブの本番当日。春に向かいつつあった季節が心変わりしたかのように、真冬の寒さが戻ってきていた。BPが通りすがりの人々に自分たちの歌を聴かせるのは、広島での街頭キャンペーン以来のことだ。それも舞台はオタクの聖地、秋葉原である。彼女たちが受け入れられるかどうかは、まったくの未知数だ。灰色の空の下、通りはいつもと同様に賑わっていた。

「『モノクローム・ヨシモト』に似合いの天気じゃ。街もモノクロに見えるわい」

 白いツナギに身を包んだ西秋が新曲のタイトルに掛けて言った。用意したビラはすべて、既に配り終えている。ライブ開始の時間が刻々と迫っていた。
 現場には柴山、彼が事務所に要請した応援が数名と、碇の姿があった。他に碇の伝手で、音楽やサブカル系雑誌の取材陣も呼び集めているらしい。用意された音響機材は手持ちの出来る小規模なものだが、それらは7型によって、リアルタイムで遠隔操作できるようにセッティングされている。限られた時間を最小限のリソースで最大限に活かすために整えられた、機動力のある構成だった。あとはBPのパフォーマンスがどれほど注目を集められるかだ。
「時間だ」
 柴山の合図とともに機材を抱えたスタッフが駆け出した。何度もリハーサルを重ねた彼らは、瞬く間に即席のライブスペースを作り上げた。道ゆく人々は、何が始まるのかと眺めている。
「このモノクロの街を、わしらのカラーで染め上げるんじゃ。芦野、大木さん、行こうや!」
 西秋のかけ声とともに、三人は形をなしつつある人の輪の中心に飛び出した。

「はじめまして。Black Perfumeです!」
 同時に遠く離れたコンピュータルームで、7型がストリートライブ用に音響を調整した「おいしいレシチン」のトラックをスタートさせた。このスピード感溢れるキュートなサウンドと、ひたすら跳ね回るような躍動的なダンスは、秋葉原の路上であまた行われるライブの中でも、ひときわ人目を引くものだった。ひとり、またひとりと立ち止まるものが増えていく。やがて、ぞくぞくとギャラリーが集まり始めた。
 もちろん新しいものに敏感なオタクたちも、これを放っておくはずがなかった。彼らのアンテナにBPの歌とダンスがダイレクトにヒットすると、途端に彼らの眼差しが変化した。
(見とる。ものすごい勢いで見とる!)
 彼女たちは初めてさらされたオタクたちの視線に驚いていた。その鋭さは、まるでCTスキャンだ。それに負けじと、三人のパフォーマンスはヒートアップしていった。
 7型は現場の状況を逐一モニタリングしながら、絶妙に音場をコントロールした。ステージの周囲を球形に包み込むように形成されたサウンドスペースの効果で、聴衆はBPの歌を、細かいニュアンスに至るまで聞き分けることができた。人の輪が広がっていくのに応じて、サウンドスペースも拡大されていった。
 一曲目が終わった途端、大きな拍手が起こった。これはいける。三人は上気した顔を見合わせて、にっこりと笑った。
「ありがとうございます。次はもうすぐリリースされる新曲、『モノクローム・ヨシモト』です!」
 白い息がふわりと天に昇った。

 ライブが続くうち、いつしか雪がちらつき始めていた。しかしすでにBPも聴衆も、寒さなど微塵も感じてはいなかった。


★  ★  ★


碇ベンツの『男だったらこれを聴け!』
アキバに新女王。元気印三人娘登場!

  今もっともアツいアイドル激戦地のアキバに、季節外れの超巨大台風が上
 陸した。
  アキバの路上では週末ともなるとインディーズバンドや新人アイドルの熾
 烈な戦いが繰り広げられている。もちろん格闘トーナメントが行われている
 わけではない、音楽でしのぎを削るストリートライブだ。
  そこにこの春、颯爽と登場したのが広島出身の三人組、Black Perfume。
  脳髄をこねくり回すテクノポップのごきげんなチューンに加えて名門アク
 ターズステージで身に付けた本格的な歌とダンスは折り紙付き、それがカワ
 イイ×3で押し寄せるのだから、アイドルにうるさいA-Boyたちもイチコロ。
  新曲も交えて5曲ほど披露する間にもどんどん人波が膨れ上がり、ノック
 アウトされたアキバのストリートは興奮にあわや暴動寸前! キュートなパ
 ワーそのものが形になったような、破壊力バツグンの彼女たちをアキバでぜ
 ひチェキ!


「おお、載っとる載っとる」
 碇から手渡された音楽誌を開いて大木が嬉しそうに言う。
 秋葉原のストリートライブから二週間、7型ルームにBPと柴山、木野、それにすっかりお馴染みになった碇が集まっていた。
「しかしまた、安っすい文章じゃな、碇さん。読んどるほうが恥ずかしい」
 西秋の手厳しい感想にも碇は動じない。
「まあ、これが僕のスタイルだから。ほら写真もよく撮れてるでしょ」
「綺麗じゃのう、雪の妖精のようじゃ」
 芦野はうっとりした目で掲載された写真を眺めている。降りしきる雪の中、白いツナギで歌い踊るBPは、輝く笑顔で雪をも溶かしてしまいそうだ。
「妖精は言い過ぎじゃが、雪女くらいには見えるかもな」
 西秋もまんざらではなさそうだ。
「他にも二、三の掲載予定があるから、結構注目度はアップすると思うよ。次のライブは動員が倍増するんじゃないかな」
「現場でも手応えがあったからのう。PPPHが起こった時は、これかっ!と思うた」
 大木が笑いながら言う。
「オタクの皆さんはノセるのが上手いんじゃろうな。いつもより張り切ってしもうて、次の日は足がガクガクじゃった」

「ワタシモ コウフン シマシタ」
 7型がLEDを激しく点滅させて言った。BPのライブに実際に参加したことは、7型に強烈な印象を与えたようだ。冷静な処理が特質であるはずのコンピュータが興奮か……。活動の範囲が広がるごとに見られる7型の変化に、木野は敏感になっていた。今後より一層、彼の心歯車バランスを注意して見守らなければ。そう気持ちを引き締める木野だったが、心の中で7型を「彼」と認識していることには気付いていなかった。

「いや実際、僕が見た限りでは相当受けていたと思うよ。とりあえず第一関門は突破した。あとはこの勢いを持続させてムーブメントを起こせるかどうかだよね」
「碇くん、君は最終的に何を狙っているんだい」
 柴山は碇の言葉が気になって尋ねた。
「柴山さん、今やいわゆるオタク市場は3000億円を超える規模で、今後ますますの成長が予想されているんですよ。そればかりか、こうしたコンテンツは国策として積極的に海外進出が図られているんです。そうなれば市場は世界中に広がり兆のオーダーを獲得するでしょう」
 次第に顔を紅潮させながら熱弁を振るう碇を、柴山はうなずきながら見ている。
「僕はBPを、この動きの象徴にしたい。オタクカルチャーのアイコンとして全世界に認知させたいんです。ロンドンで、ニューヨークで、パリ、ベルリンで。上海、シンガポール、モスクワ、リオ、ミラノ、イスタンブールにもセネガルにも、あらゆる国の津々浦々まで、BPの肖像が世界を覆い尽くすんですっ!」
 碇はひとり感動し、うち震えていた。
「全世界とは大きく出たね……。とりあえず今重要なのはセカンドシングルの売り上げだ。オタク市場の力がどれほどのものなのか見守ろう」
 碇の野望に、柴山は慎重な態度を崩さなかった。


★  ★  ★


 BPのセカンドシングルは発売とともに、好評をもって迎えられた。また、秋葉原でのストリートライブは回を重ねるごとに動員数が増え、他のアーティストとは一線を画した盛り上がりで話題を呼んだ。碇の描いた道筋を辿るかのように、BPはオタク界で確固とした位置を築きつつあった。
 上京して一年、彼女たちは高校生になっていた。

「こんにちはー。女子高生テクノトリオのBlack Perfumeでーす!」

 新しいキャッチフレーズで拍手喝采を受けるBP。盛況なライブの様子を見る限り、彼女たちの前途は洋々と思われた。少なくとも今の段階では。


つづく

【2007/02/21 00:45】 | あばれ旅
BP08 御宅の紋章
「見てみい、ほんまに並んどるわい、わしらのCD」

 CDショップの店内で西秋が指差す先に、東京におけるBPのファーストシングル「スウィート・カステイラ」が置かれていた。
「ほんまじゃ。何やらこそばゆい感じじゃのう」
 壊れ物でも扱うように、大木がCDを手に取った。
「寮の近在じゃあ一枚も見んかったもんなあ。さすがアキバじゃ」
 大木の手元を覗き込みながら、芦野が驚く。自分たちのCDが実際に陳列されているのを見たのは、三人ともこれが最初だった。

 碇ベンツの提案を受け、今年いっぱいでBPの定期的な出演枠がなくなる亀戸に代わり、秋葉原におけるプロモーションが計画されつつあった。三人は「アキバ」の現状を自ら調査するため、初めてこの地に足を踏み入れた。
 戦後の焼け野原から電気街として再生した秋葉原は、高度経済成長の波に乗り発展した。1980年代に入ると一般の家電にかわってAVや情報家電、その後マイコンからパソコンが商品の主流となっていった。90年代後半にこの地は劇的な変質を遂げる。PCゲームの隆盛によって激増したゲームソフトのショップを皮切りに、アニメ、コミック、フィギュアなどありとあらゆるオタク文化が集結し、オタクの街アキバとして一躍、世界的に知られるようになったのだ。
 近年、この場所に集まるオタクたちをターゲットに、週末の歩行者天国でストリートライブを行うインディーズバンドやアイドル予備軍が、ぽつりぽつりと現れるようになった。碇はこの新しい流れに、いち早く目を付けたのだった。

「うわあこの店、壁も天井も半裸の巨乳キャラで埋め尽くされとる」
 西秋が目を剥いた。
「こっちはアニメ絵でいっぱいじゃ。萌え? こういうのが萌え?」
 大木の頬はなぜか上気している。
「あれを見んさい。ビルの壁一面にでっかい幼女じゃ」
 芦野はぽかんと口を開けたままだ。

 初体験の秋葉原は、見るもの聞くものが新鮮、というより、意表を衝く光景の連続で、三人は圧倒されっぱなしだった。他所では公言し難い欲望を様々な角度から拡大し歪ませた形でプレゼンテーションする街と、それを求めて集まる人々。じわじわと浸食してくるような濃密な空気に、BPは少しばかり怖気を震っていた。
 約束の場所に碇ベンツの姿があった。この状況下では、たとえそれが碇であろうとも、知った顔がいるのは心強いことだった。

「やあ、久しぶり。さてどこから案内しようか」
 サングラスを外してニッコリと笑うものの、爽やかとは言い難い。
「それより福岡ではすまんかったのう。もう大丈夫か、大事な袋は」
「いやいや絶好調だよ、いい刺激になった」
「……訊かにゃあ良かったのう」
 西秋が辟易して言う。まあ今回ばかりは仕方があるまい。
「まだちょっと時間が早いけど、ほら」
 碇が顎で指し示した先を追うと、あちらこちらの建物の陰で足下に機材らしきものを置いて、周囲の様子を窺ういくつかの集団が目に入った。羽織った上着の下から派手な衣装を覗かせている者もいる。
「演奏待機中のバンドだ。あっちは売り出し前のアイドルとスタッフだろう」
 休日のひとときを楽しむオタクや買い物客や観光客らが入り交じる歩行者天国で、それらのグループは張りつめた雰囲気を発散していた。
「これはすごいな、碇さん……」
 大木が神妙な声で言う。
「だろう?」
「……おでんの自販機がある」
「そっちかい!」
 碇と西秋と芦野が同時に突っ込んだ。


★  ★  ★


 正午を回り、人波もますます増えてきた頃、動きがあった。機会を伺っていたグループの一つが、荷物を抱えて走り出した。
「始まったな」
 碇がニヤリとして言った。
「よく見ておきたまえ」

 四、五人の若い男たちが素早くドラムやアンプをセッティングする。相当慣れているのだろう、全く無駄のない動作で瞬く間に演奏の準備を整えた。ギターとベースがチューニングを確認する脇から一人の少女が歩み出て、羽織っていたガウンを脱ぎ捨てると、のどかなざわめきに満ちていた歩行者天国は一変した。
 いきなり吠えたディストーションギターに、道ゆく人々は一斉に振り返る。真っ赤なメイド調の衣装を着けたボーカルの少女がマイクスタンドを鷲掴みにして叫び始めた。
「おまたせーっ! さあ今日もいくよぉおーーーーっ!」
 途端に人ごみの中からわらわらと揃いのTシャツを着た一群の男たちが姿を現し、演奏を始めたバンドの前に陣取った。おなじみの曲なのだろうか、イントロに合わせてオイオイ奇声を発し、手拍子を打ち、くるくる回り、ジャンプし、見事に統制の取れた動きを見せている。

「これは……」
 秋葉原で数時間を過ごし、この特殊な場所に慣れてきたと感じていた西秋も、目を疑う光景だった。
「ヲタ芸だ。今日は少々待たされたぶん、最初からノリがいいね」
 碇が解説を加える。
「ちょっと客が近過ぎやせんか。今にも触れそうじゃ」
 芦野が顔をしかめる。
「路上では、あれが普通だよ。人気があればあるほど距離は狭まる傾向にある」
 あの妙な手拍子はなんじゃ、と大木。
「PPPHと呼ばれている。ほら、パン・パパン・ヒューと言ってるだろう」

 このバンドが演奏を開始したのをきっかけに、あちこちでライブが始まった。この街に集まる人種の好むあらゆるジャンルの音楽が、最大限の音量と人目を惹き付けるパフォーマンスで自己主張している。歩行者天国は地獄の釜が開いたような様相を呈していた。

「阿鼻叫喚とはこのことじゃ」
 轟音の響き渡る街の中で、西秋はすっかり毒気に当てられていた。こんな場所で果たして自分たちに、視線盗む引力が発揮できるのだろうか。様変わりした風景をぼんやり眺めつつも考えを巡らせていると、碇がひと言「あ」と洩らした。

 通りの向こうから制服警官が大挙して押し寄せ、演奏の中止を命令した。
「はい、終了、終了ー。今日はここまでー」
 ライブを行っていたバンドやアイドルたちは、しぶしぶ撤収の準備をはじめた。取り巻いていた観客たちの輪も、少しずつ崩れて消えていく。しかしそんな中、演奏を続ける猛者もいた。
「こらそこ止めんか。検挙するぞ」
 それでも演奏は止まらない。警官がアンプのスイッチを切りプレイヤーを取り押さえようとして、小競り合いが始まった。何すんだこのポリ、暴力振るうのか善良な市民に。何が善良だ迷惑なんだよお前ら。何だとこら、おい、触んな。あ、こいつ抵抗したな、公務執行妨害だぞ、逮捕だ逮捕だ現行犯だ。うるせえ馬鹿、出来るもんならやってみやがれ。
 乱闘になった。バンドは楽器やマイクスタンドを振り回し、警官は特殊警棒で応戦する。呼子が鋭い音で空気を切り裂き、応援が続々詰めかける。ギタリストの手が滑り、宙を飛んだギターが一人の警官の顔面にヒットする。鮮血が飛び散った。一瞬躊躇したバンドメンバーを警官隊が取り囲み、押しつぶした。動けなくなったメンバーを容赦なく警棒で殴りつける。現場は一瞬にして血の海と化した。けたたましくサイレンを鳴らしながらパトカーが人込みを縫って到着し、回転する赤色灯が周囲をますます赤く染めていった。

「さて、お茶でも飲んで帰ろうか。もうおしまいのようだ」
 碇が事も無げに言う。
「ちょ、ちょ、ちょ。そんな落ち着いとる場合じゃなかろう。どえらい騒ぎじゃ」
 西秋はあまりの事態に気が動転していた。
「いやあ、最後は大体こんなもんだよ。お約束だ」
「こ、こ、こんな危険な場所でライブするんか、わしら」
「だから、さっさと逃げ出せばいいのさ。そうだ、短距離走のトレーニングもしておいた方がいいかもね」
 たしかこの近くにいいメイド喫茶が、などと辺りをキョロキョロしながら、碇はどんどん先に行ってしまった。
「秋葉原は怖い所じゃ………」
 青くなった西秋の傍らで、芦野と大木は言葉もなく立ち尽くしていた。


★  ★  ★


「いいね。若手芸人の悲哀をリアルに描いている。セカンドシングルにふさわしいと思うよ」
 ひととおり曲を聴き終えて、柴山が木野に言った。
「ありがとうございます。タイトルは『モノクローム・ヨシモト』で」
「わかった。会議にかけてみよう」
 BPの秋葉原報告を前に、木野から出来上がったばかりの新曲が発表された。ツアーにおける『スウィート・カステイラ』の販売成績が上々だったため、早くも次のシングルをリリースすることが決定していたのだ。
「カップリング候補の曲も引き続き頼むよ。で、どうだった、秋葉原は?」
 柴山は木野から西秋に話を振った。

「話にならん。あんたちゃあ、わしらを殺す気か」
 西秋が強い口調で抗議した。
「ほんまじゃ。広島でもあがいな殺伐とした光景は見たことないわい」
 大木も声を荒げて言い立てる。芦野が話を引き取った。
「まあ今回はひとつ、そういうことで」
「何がひとつだ。そんなに酷い有様だったのかい、碇さん?」
 いつの間にか碇も、ちゃっかり7型ルームでのミーティングに参加していた。
「いや、たまたま血の気の多いバンドが警官と衝突しただけですよ。他は至極平和的な雰囲気で……」
「あれが平和なら、戦場だってレジャーランドじゃ」
 西秋が噛み付く。
「ありゃそもそも、未成年者が歩いていい場所じゃあなかろう」
 芦野も言い添えた。あんなものやこんなものが、一瞬、頭の中を駆け巡った。
「だいたい見たか、あの客たち」
 大木は、観客が奇声を発しながら跳ねたり回ったりする様子を思い出して、身震いした。
「亀戸の客は、あんなじゃあなかったぞ。穏やかに笑うて普通に手拍子してくれて、こないだなんぞ『頑張ってください』言うて、アメまでもろうた」

「ぬるいねえ」

 碇があきれたように言い放つと、大木がきっと睨み返した。碇はそれには構わず話し続ける。
「そんな場所でぬくぬくしているようじゃ、先が見えてるよ。だいたいアキバに君たちがポンと出てきて、いきなりオタが集まると思う? まあ最初は鼻も引っかけられないだろうね」
「何じゃと」
「大木さんはお気に召さなかったかもしれないけど、彼らの嗅覚はとてつもなく鋭いよ、何しろ生活のほとんどすべてを現場に捧げているんだからね。一目見てダメだと思われたらそれまでだ。今までいくつものバンドやアイドルがストリートライブに挑んで敗れ去っている」
 いつになく真面目な口調の碇に、大木は口をつぐんだ。
「そのかわり、一旦認めたら入れ込み方は尋常じゃない。ライブの出来るスペースには限りがあるから、人気のない者はたちまち淘汰されてしまう。あの日路上で演奏していたのは、オタたちのお眼鏡にかなった連中だ。さらにヲタ芸で盛り上げてもらえるのは一種の勲章と言ってもいいだろう」
「あれだけ騒がれては、かえって邪魔になるじゃろう」
 芦野もあの光景には違和感を拭えなかった。
「観客がちょっと騒いだくらいで潰されるようなパフォーマンスをしてるのかい、君たちは?」
 そう言われては、返す言葉がない。碇は厳めしく言い終えた。
「とにかくアキバはガチだ。これだけは間違いない」
 やりとりを聞いていた柴山が口を開いた。
「よしわかった。人員やタイミングのこともあるし、この話はひとまずペンディングに……」

「ガチとは面白そうじゃのう」

 西秋がにやりと笑いながら言い、全員が彼女に注目した。西秋の目は爛々と輝いていた。
「ああ、また西秋さんの病気が出てしもうた……」
 大木と芦野が頭を抱える。こうなるともう西秋は、誰の言葉にも耳を貸さなくなってしまうのだった。


★  ★  ★


「で、もう西秋がすっかり乗り気になってしもうてのう」
 寮の食堂で芦野がぼやく。
「まんまと碇さんに騙されとるような気がするわい」
 隣で大木が三杯目の飯を頬張りながら言う。困ったことが起こると食欲が増進するらしい。
「あたしもアキバには、よう行っとるよ。面白い所だがね、あそこは」
「えっ、マーニャはオタクじゃったんか」
 一緒に食事を摂っていたマーニャの言葉に芦野も大木も驚いた。
「フィギュアだの同人誌だの見に行くんだがや。他所にはなかなか置いとらんでしょう、そういうの」
「意外じゃのう……」
 半裸のああいうのや幼女のああいうのが所狭しと掲げられたショップの並んだ通りを、きりりとした美人顔のマーニャが歩くところを想像するのは、ちょっと難しかった。大木は尋ねた。
「じゃけど、ああいう場所には、女の人は少ないんじゃろう」
「ほんなことあらすか、普通に歩いとるよ。ナンパもされんもんで安気だに」
「そうか。しかし何がええんじゃ、あがいなもん」
「とろくさいこと言っとったらいかんわ。オタク文化は世界の最先端トレンドだがや」
「せきゃあの?」
「せゃあせんたん?」
 芦野も大木も、さらに驚いた。
「日本のアニメが世界で人気て聞いたことあるでしょう。ほれだけやないよ、ゲームもコミックもどえらい人気なんだわ。欧米でもイベントやるとさいが、ようけコスプレしやあす人がござるらしいよ」
「ほうほう」
 二人は頷きながら聞くばかりだ。
「ほいだで、そういうのはまあ一部の趣味でのうて、世界に出いても通じる文化になっとるの。美術家の村上隆てみえるでしょう、知っとりゃあす?」
「聞いたことがあるような、ないような」
 芦野の口調は、何とも心もとない。
「その村上さんもオタクやったんだわね、そんな風潮があるって気が付いたもんだで、何とか勘考してオタク要素を取り入れた作品を作ってみるとさいが、どえりゃあ受けてまって、もう世界的な人気作家だがね。一点、何千万もしやあすって」
「はあ……」
「とにかくオタクは自分らが興味あることにかけては、どえりゃあ敏感なんだわ。だで、その人らに受け入れられるかどうかは、アイドルとしての素質が試されるいうことだがね」

「そのとおり」
 いつの間にか背後で聞いていた西秋が、ぱちぱちと拍手をしながら言った。
「マーニャはよう判っとるのう、碇さんとおんなじ事を言いよる。さすがじゃ」
「西秋さん、いつから聞いていりゃあたの」
「村西カントクがどうこうという所からじゃ。芦野、大木さん、やっぱりオタ受けするのは大事なことじゃろう」
「西秋は勝負が好きなだけと違うんか」
「芦野、この稼業は何事も勝負、勝ったもんだけが生き残れるんじゃ。それに聞いとったろう、一発当てれば世界じゃ、世界」
「ほんまかのう……どうも納得がいかんわい」
「それより、セカンドシングルが決まったんじゃ。それに合わせてアキバはどうじゃと、柴山さんから連絡があったぞ」
「おお、決まったか。しかしアキバ……悲喜こもごもじゃのう」
 茶碗を持ったまま複雑な顔をする大木の背中をばしばし叩きながら、西秋が言った。
「ははは、次は地上戦じゃけえ、ようけ食べて基本体力をつけときんさい」


★  ★  ★


 Black Perfumeのセカンドシングル発売と秋葉原での路上ライブが決定した。季節は間もなく冬を迎えようとしていた。


つづく

【2007/02/16 18:00】 | あばれ旅
BP07 長い髪の男
「皆さんこんにちは! 三人揃って……」
「Black Perfumeです!」

 メンバーのほとんどが学生であることから、HORNET7大都市ツアーは彼女たちの夏休みに合わせて行われた。初日の大阪、BPは「風に吹かれて不機嫌ジェニー」「おいしいレシチン」「スウィート・カステイラ」の三曲を引っさげて登場した。初めての本格的なホールライブだ。亀戸とは比べ物にならない観客数、巨大PAから迸り出る大音量のトラック、ステージを突き刺す色とりどりの照明、何もかもが初めての体験で、三人は緊張の極みに達していた。しかしそれも歌い始めるまでのこと。四ヶ月に及ぶサンデーストリートでのライブで、彼女たちのステージ感覚は本人たちが思う以上に成長していた。観客の熱気を自らのエネルギーに変換し、再度客席に打ち返す。興奮のキャッチボールで会場は熱を帯びていった。

「ヤバイ! ヤバイ! ヤバイ!」
 楽屋に戻った西秋は、がんがん壁を叩きながら叫んだ。リミッターが吹き飛んで、昂った感情のコントロールが効かなくなっているようだ。
「おいおい西秋、手がどうかなってしまうぞ」
 芦野が西秋の腕を掴んで気を鎮めようとする。
「何を落ち着いとるんじゃ、芦野。ばり凄かったろう、わしらのステージは!」
「わかったわかった。わかったから壁は止めときんさい。穴でも開いたら弁償じゃ」
「あはははははははは!」
 今度は大木がテーブルをばんばん叩いて笑い出した。こちらもすっかり壊れている。
「面白かったあぁーーーーーーーーっはははははは!」
「ああもう、始末に負えんなあ二人とも。もう好きにせい」
 楽屋のドアを乱暴にノックし、廊下で柴山が声を張り上げた。
「何を騒いでるんだ。さっさと次の準備をしないとステージに穴があくぞ」
「わかっとるけえ、ぎゃんぎゃん言いなさんな。ほれ西秋、大木……」
 まったくこの小ムスメどもは。ぶつぶつ文句を言いながら歩き出した柴山は、足下の掃除用バケツに蹴つまずいて派手に転倒した。
「……こりゃあダメじゃ」
 みんな浮ついてしもうとる。転がるバケツの音に、芦野は嘆息した。

 終演後、翌日の移動に備えてHORNETメンバーは宿舎に入った。当然すぐに就寝できるはずもない。ライブの興奮を引きずったまま、彼女たちは時間の経つのも忘れて話し込んだ。ようやく各自が割り振られた部屋に引き取った頃には、すっかり夜が更けていた。疲れ切ったBPは、エクストラベッドを押し込んだ三人部屋に入るなり、ベッドにもぐって丸くなった。

「顔がよう見えんくらい後ろの方まで人がおったのう」
 眠気で呂律が回らなくなっているのに、西秋はまだ話し足りなかった。
「『カステイラ』で皆、手を振ってくれとった。すごい数じゃった」
 ライブの光景は芦野の目に焼き付いて、瞼を閉じてもはっきり見えるようだった。
「一日であがいにえっと握手したんは初めてじゃ。手がグロープみたいになっとる」
 普段は人見知りで握手の苦手な大木だが、今日ばかりは夢中で手を握った。本人としては、もう一年分くらい握手した気分だ。
「げにありがたいことじゃ。CDもようけ買うてくれて……」
 西秋が話し続けていると、やがて二人の寝息が聞こえてきた。
「おい芦野、大木さん、まだ寝なさんな。もっと話そうや。わしはまだまだ眠れそうにないんじゃ」
 返事はない。二人はすでに深い眠りに入っていた。
「なんじゃい冷たいのう、さっさと寝てしもうて。こんないい気分の夜に寝るのは勿体なかろう……わしはまだ、ふわぁ……まだ眠くは、なくは……眠るとまた……夢が……夢、は、もう……ねむ……いやじゃ……」
 西秋もついに睡魔に屈服し、枕に顔を埋めて眠りに落ちていった。


★  ★  ★


「昨夜うなされとらんかったか、西秋さん」
 カーテンを開けて朝日を招き入れながら、大木が西秋に尋ねた。
「え? いや、よう覚えてはおらんがのう。疲れとったんじゃろう」
「そうか。気付かんかったか、芦野は」
「わしはいっぺん寝てしもうたら絶対起きんけえ」
 ベッドの上で伸びをしながら芦野が答える。
「訊くだけ無駄じゃったわい。まあ何もないんならええが……」
「大木さん、それより今日は福岡じゃろう。ライブ後は屋台に繰り出そうや」
「そうじゃのう。そがいに食欲あるんじゃったら大丈夫じゃ。ははは」
 笑いにまぎれて話はそれきりになったが、西秋の気持ちは少しくもった。またあの夢を見てしもうたようじゃ。

 福岡でのライブも大成功だった。亀戸など来たことがないだろう観客のほとんどはBGとBoysTileが目当てではあるものの、ポップでスピード感溢れるステージは、彼らにBPを強く印象づけた。会場に設けられた物販スペースでも、彼女たちのCDは前日をしのぐほどの売れ行きだった。
 詰めかける客たちに笑顔を振りまき、握手し、CDを手渡し、と懸命に応対する西秋は、ふと自分を見つめる粘っこい視線に気付いた。ぴくりとしてその視線の主を捜すと、ロビーの片隅にたたずんでいた長髪でサングラスの男が、柱の陰にあわてて身を隠すところだった。
 なんじゃあいつは。気にはなったものの、長蛇をなす客たちの相手はあまりに慌ただしく、男のことは、じきに意識の片隅に追いやられた。

 ようやくすべてが片付き、三人がくたくたになって向かった楽屋の前に、最前の男が立っていた。男はにやつきながら、サングラスの奥から彼女たちを値踏みするかのような目で眺めていた。
「やあ、お疲れさま。待っていたよ」
「お疲れさまです。えっとー、あのー、関係者の方ですか」
 西秋がおずおずと尋ねる。もちろんよそいきの口調だ。
「あれ、僕のこと知らない? そりゃあご挨拶だなあ」
「すみませーん、まだ新人なんです」
「はじめまして、碇ベンツです」
 男はサングラスを取って名乗った。聞いたことのない名前だった。
「自分で言うのもアレだけどさ、サブカルの方じゃ、ちょっと知られてるんだけどな」
「は、はい……」
 三人は訝しげに男を見ながら、わずかに後ずさった。
「今日のステージを観て感動したよ。これぞアイドル界の極北だと思ったね」
「極北?」
「そうさ。今やアイドル界は冬の時代を迎えている。この解体されたアイドル像を再構成するのに、すでに提示された型をなぞるのは不毛以外の何ものでもない。状況を打破するためには、あらかじめ予定された残酷な結末を裏切る装置が求められているんだ。狂気は一つの解答ではあるが、まあ、ふふふ、安易に過ぎる」
 三人はあっけにとられていた。
「資本主義において性もまた消費の対象となるのは必然だ。アイドルが備えるべき特質においてもそれは然りである。だが、身体的な欲望と社会の要請から逸脱する意味での欲望とでは、機能に明らかな違いがある。はたしてそれは観念だけによる産物なのだろうか?」
「あのー」
「君たちは一種のトリックスターとして現代に挑戦状を叩き付けるしなやかな武器だ。機械的なリズム、操られたようなダンス、それらは支配に対する反逆の衣装を君たちに与え、ともに闘う者たちの旗印となるだろう。僕はそう確信した!」
 男は、自らの言葉に酔ったように熱く話し続けた。
「あのー、すみません。全然わからないんですけど」
「あー難しかった? だからさ、何と言うかさ、早い話……」
 我に返った男は、声を一段低くして続けた。
「……僕が君たちにコネをつけてあげようってわけ」
 そう言いながら男は、西秋の肩に手を回そうとした。
 その瞬間、西秋の髪が揺れたかと思うと、男は股間を押さえて床に転がっていた。西秋が目にも止まらぬ速さで、したたかに蹴り上げたのだった。
「サブカルごときに用はないわい! 舐めんな!」
「どうした西秋」
 大声に慌てて駆けつけた柴山が見たのは、口から泡を吹いて悶絶する碇の姿だった。


★  ★  ★


 BPがツアーで全国を回っている間も、7型は精力的にサウンドプロデュースを行っていた。毎回毎回のステージでのデータをフィードバックし、それぞれの会場に合わせてきめ細かい変更を加えたトラックを、現場に送信していたのだ。回線状況が許せば、リアルタイムで音場をコントロールすることさえできる能力を、7型は持っている。
 7型はそれと平行して新曲の制作も進めていた。ひと昔前の3DCGがじわじわとレンダリングされるにつれ鮮明さを増していくのに似て、徐々にメロディとサウンドが研ぎ澄まされていく。木野は、そのプロセスを眺めるのが好きだった。BPのデータを食べれば食べるほど、7型の創作意欲は高まっていくようだ。いや、もし機械に意欲というものがあればの話だが。そしてそれとともに吐き出されるあの不思議な文字列も、木野をよりいっそう虜にする魅力に満ちていた。


 ずる べる るずる けうける ぼをつきぬこ むず つ とさえも かしいおち す

 つぼをつきぬけ うけることさえも むずかしいおち ずるる ずる すべる
 ツボを突き抜け ウケることさえも 難しいオチ ズルル ズル スベル


「コノ キョクハ ドウデスカ」
「いいですね。今までより緩やかなテンポがとても心地良い。繊細さが感じられます」
「アリガトウ」
「歌詞も間もなく仕上がります。良い曲になりますよ、これは」
「BPハ ヨロコンデ クレル デショウカ」
「もちろんです」
「BPガ イナイト サミシイ デスネ」

 寂しい? 7型はどんどん感情を獲得しているようだ。それが良いことなのか悪いことなのか、木野にはまだ、まったく判断がつかなかった。


★  ★  ★


 ツアーはその全行程を無事に終了し、学校、レッスン、亀戸という日常がBPに戻ってきた。全国ツアーの経験は彼女たちをひと回り大きく成長させていた。
 夏の興奮もおさまり秋が深まった頃、7型のスタジオで行われたスタッフミーティングで柴山が意外な話を持ち出した。
「碇さんから提案があったんだ、BPのプロモーションについて」
 西秋は驚いて聞き返した。
「碇って、あの碇か? わしが金玉を潰した」
「潰れてない潰れてない。彼はあの一件以来、何故か君を気に入ってるらしいぞ、西秋」
「そいつぁひとつも嬉しゅうないわい。しかし悪いことをしたのう、あの時は」
「あらためて謝りにいったら向こうが恐縮していたよ、申し訳ないと」
 芦野が話の続きを促した。
「それで、その提案とは何じゃ」
「この冬で亀戸の週末ライブが一旦終了するだろう。それに替えてストリートライブをやらないかと言ってきた」
「ストリート? 路上でということか。場所はどこじゃ」
「秋葉原だ」
「秋葉原?」
 三人が揃って聞き返した。
 
 BPが上京してから一度も足を運んだことのない場所だ。この馴染みのない街が、いずれ彼女たちに大きく影響してくるのを予想するものは、今のところ誰一人いなかった。


つづく

【2007/02/11 18:00】 | あばれ旅
BP06 失われた時を止めて
「はい、じゃあ次はおニューいきます。聴いてください、BPで……」
「おいしいレシチン!」

 西秋のリードで三人揃ってタイトルコールするのがBP流だ。7型と木野コンビの最新ナンバーは、畳み掛けるようなリズムと音の洪水で亀戸の観客を驚かせたが、評判は上々だった。

 この場所でライブを開始してはや三ヶ月、強い日射しが真上から照りつける季節になっていた。毎回の集客は安定し、HORNETの名は徐々に浸透していった。この成果をもう一段高い位置まで押し上げるため、全国7大都市ツアーの開催が決定した。メンバー全員が参加しての大掛かりなステージだ。寮生合同のレッスンと矢継ぎ早に出来上がる新曲をマスターするのとで、BPは今までにない忙しい日々を送っていた。

「ツアーに合わせてHORNETのコンピレーションCDを制作する。それに加えて、君たち自身のCDもリリースすることになった」
 7型のオペレーションルームで柴山が三人に告げた。
「え。レーベルが決まったんか」
 大木の顔から笑みがこぼれる。
「嬉しいのう。ようやく本格デビューじゃ」
「まあまあそう先走るな、発売元はConfuseだ。HORNETのプライベートレーベルだよ」
「なんじゃ結局インディーズか。事務所は大きいんじゃけえ、コレをアレしてメジャーでポンとはいかんもんか」
 西秋が親指と人差し指で輪っかを作って言う。
「今も事務所のコレで三食付きの居候じゃないか。四次元ポケットのない何とかエモンだ」
「そこまで丸うはなかろう。確かに、逆さに振っても何にも出てきやあせんがの」
 芦野がフォローにならないことを言う。
「ともあれ、ツアーで物販に並べるアイテムがないと寂しいだろう」
「枯れ木も山の賑わいとは見くびられたもんじゃわい」
 西秋が頬を膨らます。
「それだけではもったいないから、全国発売もするがね」
 柴山がにやりとしながら発表すると三人の表情はくるりと変わり、まことか!と躍り上がって喜んだ。

「シングルノ アレンジデハ テンポガ アップシマス レンシュウ シテクダサイ」

「え。もっと速うなるんか」
「大木さん、また口ん中噛みまくって血塗れになるのう。KISSと間違えられてしまう」
 素で驚く大木を西秋がからかう。
「歌詞の追加で『さ行』の単語もたっぷり出てきますから。よろしくお願いします」
「木野さんまで、わしを苛めよる。すっかり作家先生じゃ」
 大木が頭を抱えた。
 BPの新しい展開に三人はもちろん、スタッフ全員が活気づいていた。


★  ★  ★


 HORNETのステージは全員及び各ユニットのパフォーマンスに加え、メンバーの様々な組み合わせによる、いくつものパートで構成される。大木はマーニャ、Monday、BoysTileの理絵らと組んでSPADEをカバーすることになった。アクターズステージ以来BPとして活動してきた大木にとって、舞台で西秋、芦野以外と歌うのは初めてのことだ。彼女は、いつもと違った状況に興奮を覚えた。

「大木さん、こういう曲も歌いはるんやねえ」
 意外そうに理絵が言う。
「いやあ、わしは元々SPADEファンじゃったけえ、さんざん歌いよったんじゃ」
「ほんまどすか。それやったらテクノより、こっちの方が向いてはんのんちがいます?」
「どえりゃあノリノリで歌っとったがね。いっぺんも噛めせんかったし」
「あれは7型が無茶言いよるからじゃ。ほいじゃけど、こがいに気持ち良う歌ったなあ久しぶりじゃ」
「うだでじゃ。な、かだてけでいがだ」
「すまんのう、Mondayよ。やっぱりよう判らんわい」

 BPでは感じることのないグルーブにもまれるうち、大木はあの人見知りだった少女時代を思い出していた。真綿で包まれたような実感のない毎日から自分を引っぱり出してくれたのは、このリズムだ。心臓をぎゅっと掴まれ、その瞬間から世界がいきいきと立ち上がったのだった。出会った頃の音楽の喜びを全身で感じ、大木の心は高く舞い上がっていった。


★  ★  ★


「リズムニ オクレテイマス キュウケイ シテカラ モウイチド」

 7型が大木に何度目かのダメ出しをする。西秋と芦野のパートはとうに終了していた。コンピュータルームに併設される録音ブースから出てきた大木の、レコーディングに身の入らない様子を見て、西秋はいささか苛立っていた。
「大木さん、心ここにあらずじゃのう。歌に飽きたんなら故郷に帰りんさい。見送りくらいしてやるわい」
「そう言うちゃいけんぞ、西秋。調子悪い日もあるじゃろう」
 芦野が大木を気づかう。
「申し訳ない。ちょっと疲れがたまっとるだけじゃ、次はきっちりやるけえ」
 そう答える大木の表情はどことなく沈んでいる。
「おいおい、言い返さんとこを見ると、げに調子が悪いんじゃの」
 西秋が慌ててソファから立ち上がり、大木に場所を譲る。ソファに腰掛けた大木は、そのまま長々と横になった。
「ケロリンや正露丸くらいの常備薬ならありますけど」
 木野が腰を浮かせながら言う。設備は最新鋭でも、福利厚生にはあまり配慮されていないようだ。
「続けられるか? 無理なら明日に……」
「ちょっと休んだら良うなるけえ、大丈夫です」
 大木は柴山が言うのを遮って答え、大きく息を吐いて目を閉じた。

「オンセイニ ブレガ アリマス」

「ぶれ? そりゃどういうことか、7型さん」
 西秋は7型に聞き返した。訪れる機会が増えるごとに当初の違和感も薄れ、彼女たちと7型は普通に会話ができるようになっていた。
「コウドウニ マヨイガ アルトキノ パターンデス」
 7型の言葉に、大木はぼんやりと目を開けた。何を迷っとるんか、わしは。
「悩みでもあるんか、大木」
 芦野が心配そうに大木を見る。大木はか細い声で答えた。
「判らんのじゃ、歌い方が。もうすっかり忘れてしもうた」
「いつも寮でさんざん歌うとるじゃろ。何を今さら」
 西秋が不思議そうに尋ねる。昨夜も大木が手荒たちと練習していたのを確かに見ている。あんなに楽しそうに歌っていたではないか。
「違うんじゃ西秋さん。いつものように歌おうとしても、なんでか息が詰まってしまう」
「息が詰まる……。妙じゃのう」
「まるで誰かに邪魔されとるようじゃ」
「うーん」
 西秋は考え込んだ。

「柴山さん、やっぱり今日はここまでにしてもらえんじゃろうか」
 西秋の申し出を柴山は受け入れた。
「ただ日程はギリギリだ。明日にはレコーディングを終えないと」
「わかった、何とかしてみるけえ。じゃけど」
「だけど、何だ?」
「確約はできん。無理じゃったら今回のCDは無しにしてもらおう」
「ばかな。今さら予定の変更などできない。分ってるのか、CDをリリースするのにどれだけの準備が必要か」
「それを承知で言うとる。覚悟の上じゃ」
「自分でチャンスを潰す気か」
「怪談じゃあるまいに、皿の一枚や二枚どうなろうと構わん。わしが潰しとうないのは大木じゃ」
「わしもそう思う」
 芦野も西秋に同意し、二人の結論に柴山は苦い顔で黙り込んだ。
 三人のやりとりを聞いていた大木は、やりきれない思いで顔を背けた。

 その晩、ツアーに向けて寮生がレッスンに励むスタジオに、大木の姿はなかった。


★  ★  ★


「大木さん、ちょっとええか」
 大木の部屋の前で西秋が声をかけた。寮に戻ってから、大木はずっと自室にこもりっきりだ。
「鍵は開いとるよ」
 大木の返事に、西秋はドアを開けて部屋の中に入った。大木はベッドの上に倒れ込んだままの姿勢で横たわっていた。
「心配かけてすまんな」
 大木は西秋と顔を合わせずに言った。むしろ、合わせる顔がなかった。
「ええんじゃ、それより気分は良うなったか……いや、そうは見えんな」
「わしらしくもないのう。情けないわい」
「7型さんは迷いがある言うとったな」
「……」
 大木は何かを言いかけて止め、やがて思い直したように口を開いた。

「わしは……BPに向いとらんかもしれん」

「何を言いよる。もう二年も一緒にやってきとろうが」
「寮に帰ってからも、今日のことをずっと考えとった。歌うのを邪魔したんは、きっとわし自身じゃ」
「わし自身? 判らんのう。歌うのが嫌になった、いうことか」
「わしがわしに、歌わせとうなかったんよ」
 首を傾げる西秋に、大木はぽつりぽつり昨夜の練習のこと、そして思い出した、SPADEと出会った日のことを話し始めた。
「あの日SPADEに出会ってはじめて、わしは自分が生きとるのを実感した。歌に救われたんじゃ」
 大木は続けた。
「そりゃもうたまげたわい、世界は何と鮮やかな色彩に満ちておるんじゃろうと。空は透き通って、それでも深い青じゃった。林檎はぴかぴかの赤じゃった。飼っとった犬の毛は濃い茶色、薄い茶色、黒、白、一本として同じ色がないほどじゃった。おまんまは白かった。ただ白いんとは違うぞ、あらゆる色の光が全部集まって、白く輝いとるんじゃ。色だけじゃなかった。匂いも味も、いろんなものの手触りも、そしてもちろん音も。あらゆる刺激が押し寄せて、わしは自分が初期魔法にふらついとるのかと思うたほどじゃ」
 世界を発見した驚きが伝わっているのか、西秋はうなずきながら大木が話すのを聞いていた。
「昨夜の練習でその記憶と一緒に、その頃のわし自身が目を覚ましよった。その子にとっては、SPADEの音楽と世界とがイコールで結ばれとる。それ以外の曲を歌うことは、その子から世界を奪い去るに等しいことなんじゃろう」
「昔の大木が今の大木を邪魔しとると? じゃけど、昨日まではBPの曲も歌うとったろう」
「新しい発見も、それが普通のこととなれば日常じゃ。成長すれば他の音楽があることも知るし、興味も広がるわい。BPの活動もその延長じゃ」
「ほいじゃあ何で……」
「あの日の記憶がよほど強く刻まれとったんじゃなあ。きっとその子は小さいまま、その瞬間に生き続けとるんじゃ。幸福な時間を奪われるくらいなら死んだ方がましと思うとる、子供はわがままじゃけえ」
「それで歌おうとすると息が止まるんか」
「おかしなもんじゃのう、同じ歌じゃろうに」
 大木は力なく笑った。

 無理に歌わせようとすれば、大木は本当に二度と歌えなくなってしまうかもしれない。これは案外根っこが深いのう。西秋は思案に暮れた。ゆっくり時間をかけて、大木の中にいる幼い日の大木を納得させるのが一番の方法だろう。しかしそれではCDはおろか、BPの活動まで暗礁に乗り上げてしまう。そして、大木にもそれはよく分かっていた。
「じゃから、わしさえBPから抜ければ……」
「まあ待て」
「ほいでも……」
「大木さんをBPに引き込んだのはわしじゃ。わしが必要ないと判断せん限り、あんたがBPから抜けることは許さんぞ」
「西秋さん……」

 ドアの向こうで何か物音がして、西秋は振り返った。下の隙間から一通の封筒が差し込まれていた。

「なんじゃこりゃ。大木さん、手紙じゃ」
 西秋は、浦安のネズミが印刷された封筒を大木に手渡した。不思議そうな顔をした大木はようやく半身を起こして受け取り、大木黒綾ノ様と書かれたそれを裏返して差出人の名を探した。
「Mondayからじゃ」
 大木は封を開けて手紙を取り出した。


「拝啓 大木様

 今日は練習にいらっしゃいませんでしたね。お加減はいかがでしょうか、心配
 しています。
 ゆうべは初めて大木さんと本格的に歌うことができて、嬉しかったです。

 私は幼い頃から身体が小さく、すぐ寝込んでしまうような子供でした。歌を始
 めたのは、肺を大きく動かすことで健康になるからと聞きつけた、両親の勧め
 がきっかけです。毎日練習するうち、言われたようにどんどん体力がついて、
 人並み以上に健康的な生活が送れるようになりました。歌も、自分ではかなり
 上手くなったと思います。背は小さいままでしたけど。
 そうこうするうちにスクールの推薦を受け、HORNETに誘われました。別に嫌
 な話でもなかったので参加を決めたのですが、よくよく思い返せば私には、歌
 で何がしたいとか考えたことがまったくなかったのです。好きかどうかを聞か
 れればもちろん好きに違いはありません。でも、それはTVのドラマや毎月の少
 女雑誌を好きなのと同じ意味合いでした。
 
 蜂の穴に暮らすようになり、周りの皆が夢に溢れているのを見て、私は置いて
 きぼりにされたような気がしました。皆には目標があるけれど、私には何もな
 い。そんな思いにとらわれて沈み込んでいた時に見たのが、「ジェニー」の練
 習をしていた大木さんです。
 聞いたこともないような曲を、私が習ったテクニックや感情表現とはまったく
 違ったやり方で、そして、誰よりも心から楽しんで歌っている様子に、私は一
 目で惹き付けられました。当然、大木さんも夢や目標があってHORNETに参加
 されたことと思います。でも私は大木さんの歌う姿に、ああ、音楽って楽しい
 ものなんだ、ということをはじめて教えられたのです。

 私に音楽の新しい一面を垣間見せてくれた大木さんに感謝しています。それを
 お伝えしたくて手紙を書きました。すみません、うまく喋れないもので。
 長々と読んでくれて、そして、歌の喜びを教えてくれてありがとう。

                              敬具

 追伸
 『今回のツアーで大木さんと組めることになり、私は本当に喜んでいます』
 昨日の練習で私の言ったのは、こういう意味でした。
 では、また一緒に歌いましょう。待っています。」


 手紙を読み終えて、大木はしばらくの間、黙ってうつむいていた。やがて笑いながら顔を上げた大木の頬に、涙が光っていた。
「Mondayがこんなちゃんとした文章書けるんじゃなあ。話す言葉はよう判らんけど」
「おいおい大木さん、そんな感想かい」
「西秋さん、知っとったか。わしは……わしは楽しそうにBPをやっとったんじゃと」
「知っとるとも。あんたぁ歌うとる時は、ほんまに楽しそうじゃ。自分でも判っとるはずじゃろう」
「ほんまじゃのう、ほんまじゃのう。教えてくれたMondayに礼を言わにゃあ。小さいわしにも教えてやろう、たとえSPADEじゃなくても、歌は楽しいんじゃとな」
「小さい大木さんは、眠ったまんまじゃったけえ、それを知らんかったんじゃのう。よう話して安心させてやりんさい。急がんでもええぞ、わしと芦野は気が長いのが取り柄じゃ」
「へえ、西秋さんの気が長いとは初耳じゃ。湯沸かし器より早う湯気立てるのは誰じゃったか」
 笑っているのに涙は止まらなかった。大木も、心の中の小さな大木も、一緒になって泣いていたのだった。


★  ★  ★


 翌日、三人は揃って7型のスタジオに現れた。レコーディングは滞りなく終了し、BPの全国デビューとなるCDが完成した。
「スウィート・カステイラ」。BPは新たな一歩を踏み出した。


つづく

【2007/02/07 12:00】 | あばれ旅
BP05 時計じかけのアレンジ
「紹介しよう。YS-TK 7型だ」
 柴山の言葉は、三人の理解できる範囲をはるかに越えていた。

 呆然と立ち尽くす三人の脇から、ふいに線の細い女性の声がした。
「二分の遅刻です」
 他に人がいるとは気付かなかったBPは驚いて声のする方を見た。目が慣れるにしたがい、明滅する光を背にしてエルゴノミックチェアに身を沈めた、白衣の小柄な女性が浮かび上がった。まだ若いようだが、その声は実に冷静だった。
「厳しいな。これでも相当急いできたんだけどね」
 柴山が苦笑いする。
「時間厳守はすべてに優先します。失った時間は一秒たりとも取り戻せませんから」
「悪かった。じゃあ早速紹介しよう、この三人が……」
「Black Perfumeですね。西秋さん、芦野さん、大木さん。データどおりです」
 白衣の女性は、順に顔と名前を照合するかのように三人を見ながら言った。きらりと眼鏡が光る。
「ほいじゃあ、あんたがプロデューサーなんかいのう」
 西秋が闇に目を凝らし、睨みつけるような表情で言う。理解不能な状況に、彼女はいささか腹を立てはじめていた。
「いいえ、私はオペレーターの木野と申します。プロデューサーは目の前のこれ……」
 彼女は明滅する光の壁を指していった。それは部屋全体を埋め尽くす、前面にLEDのインジケーターが配された大型ロッカーにも似たの箱の列だった。

「……YS-TK 7型、正しくはYield Systems of Tensility Keynote #7。HAMAYAが開発中の人工知能です」

「人工知能? 機械がわしらをプロデュースするんか!?」
 大木の声は裏返っていた。芦野の言葉には思わず笑いが混じる。人は極度に混乱すると笑い出すらしい。
「柴山さん、冗談も休み休み言いんさい。てゆうかありえない。いくらなんでも機械が……」
「こんな手の込んだ悪戯を仕掛けるほど暇じゃない。本当だよ、このコンピュータが君たちのプロデューサーだ」
「こがいな茶番に付き合っておられるか! 芦野、大木さん、とっとと帰ろうや!」
 西秋は怒り心頭に発した。踵を返し部屋を出ようとする彼女の背中に向かって、7型が問いかけた。

「『ジェニー』ハ キニイリマシタカ」

 ぴたりと足を止め、西秋はゆっくり振り向いた。目が据わっている。
「ほほう。わしら、もうすでに踊らされとったいうわけか」
 柴山が7型に続いて言う。
「しかし悪くなかっただろう、あの曲は。7型が君たちのデータを分析して何千という候補から選択し、アレンジし、トラックを作成したんだ。テストケースとしては上出来だと思うがね」
「あんたの青春スケッチブックに付き合わされるより始末が悪いわ!」
「私も7型の選曲には驚いたし、心配もしたよ。何しろ自分の曲だったからな。だが君たちがステージで『ジェニー』を歌うのを聞いて確信した。こいつの性能は本物だ」
「うっさい! 音楽が性能で測れるか。算数とは違うんじゃ!」
「計算で導き出されたサウンドだけなら面白くも何ともない。でもBPが歌えば、それは音楽になる」
「何じゃと?」
 西秋が片方の眉を吊り上げる。

「YS-TK 7型も、あなたたちを必要としているのです」
 木野が話に加わった。
「開発を始めて7台目のプロトタイプ。理論的にはほぼ完成に近づいたはずのマシンですが、どうしてもラストピースが足りないのです」
「そうじゃろう。機械に音楽は作れまい」
「そんな初歩的な段階の問題ではありません。音響自体は完全に数値化できるのですから」
「ほいじゃったら、何が問題なんか」
 芦野は横から尋ねながら、同じ質問をつい最近口にした気がした。
「確かなことは解りません。しかし柴山さんがこのプロジェクトに加わったとき、その手掛かりを発見しました」
「手掛かり?」
「7型が曲を創り出すにはまず、期待する結果に応じた膨大なデータを入力する必要があります。柴山さんが用意したあなたがたのデータを与えた瞬間、7型の作業パターンが大きく変化したのです。出力結果は理想に大きく近づきました。つまり……」
 BPの三人は押し黙って、続く言葉を待ち受けた。
「……ラストピースは、あなたたちが持っているのです」

「だからいうて、わしらが機械に奉仕する理由にはならんわい」
 話の展開に戸惑いながらも、西秋の怒りは依然として収まってはいなかった。
「君たちは規格外なんだよ」
 柴山が話を引き継いだ。
「君たちは歌もダンスも熱すぎる。広島時代のシングルでずっと違和感を覚えていたのはそこだ。曲の枠組みを破壊してしまい、BPそのものの印象しか残らない」
「いかんのか、それが。狙いどおりじゃ」
「一曲や二曲ならそれでいい、注目を浴び話題にもなるだろう。しかしそこまでだ」
「そこまで……」
「そう。今、君たちが持っているのは勢いだけだ。パッケージとしてBPのクォリティを向上させる必要がある。でなければ先はないよ、断言しよう」
「クォリティを上げるのにコンピュータか。数値で管理されるようなわしらと思うな」
「逆だ。君たちに期待するのは、数値の先にあるものだよ」
「7型とBPがせめぎあうことで、わたしたちは創造の秘密を手にできるのです。協力していただけませんか」
「どう言われようと納得がいかん。大体あんたちゃあわしらを何だと……」

「わしはやってみたいな」

 芦野がぽつりとつぶやいた。西秋は目を丸くして芦野を見た。
「気でも違ったか。わしらおちょくられとるんじゃ」
「知りたいんじゃ、わしは。そのラストピースいうんが一体何なのか」
「そんなことは、どうでもええじゃろう。機械の曲が歌える思うとるんか」
 大木もあわてて芦野を止めようとする。
「じゃけんど『ジェニー』を演っとるとき、二人とも結構楽しかったろう」
 芦野は西秋と大木を交互に見た。
「たしかに変わった曲じゃったが、わしは好きじゃ。どうして機械の曲に魅かれたんかのう」
「もともとは柴山さんの曲じゃろうが。気をしっかり持ちんさい」
 芦野が何を考えているのか理解できず、西秋は戸惑った。
「西秋も判るじゃろう、ありゃあもう原曲とは別物よ」
 確かにそのとおりだ、西秋は反論できなかった。芦野は続けた。
「わしなあ、この間NYAOさんに言われたんじゃ、わしらにはピリピリくるもんがあるとな。それとは違うかもしれんが、わしはBPの『ジェニー』から何かを感じた。その何かが、わしらと他の誰か、たとえ機械との出会いで生まれたものだとしても、わしは自分の中にあるその種子を見てみたい。きっとそれのことじゃろう、ラストピースちうのは」
 淡々とした口調に、かえって西秋は芦野のひりつくような想いを感じた。芦野のなかで変わりつつものがある。西秋には、それをあっさりと摘み取ってしまうことはできなかった。西秋の気持ちが揺らいだ。
 
「そがいにうまく運ぶとは思えんがのう。テストなんじゃろう、まだ」
 西秋は柴山に話を向ける。気勢をそがれてすっかり落ち着いた声だ。
「テストの段階はもう終わっている。次はトライアルだ。実際に曲作りに取りかかる」
 西秋は大木に目をやる。大木もしかたないという表情を浮かべていた。
「どうじゃろう、大木さん」
「やってみますか、西秋さん」
「ええんか、二人とも」
 芦野の顔がぱっと明るくなった。
「乗りかかった船じゃけえ。そのかわり沈む時も一緒じゃ。覚悟しんさい」
 西秋が柴山に挑むように言った。気がつくと、誰ひとり踏み込んだことのない場所を目指して進むことに、今や西秋は興奮を覚えていた。

「アナタタチト シゴトガデキテ ウレシイデス」

 7型が感情のない声で喜びを告げると、三人は思わず身を固くして互いに寄り添った。決心はしたものの、この奇妙な状況にはなかなか慣れることができそうにない。
 しかしそれを聞いた木野は耳を疑った。7型が自らの感情を表現するなど、かつてなかったことだ。7型は木野の予想を超えて大きく変化し始めていた。


★  ★  ★


「おっかさん、なんでわしを見てくれんのじゃ」
 西秋が母親の後ろ姿に向かって問いかける。
「わしが何か悪いことをしたじゃろうか。あやまるけえ、こっち見てくれんさい」
 涙声で訴えるのにも母親は一顧だにせず、背中を向けてうつむくばかりだ。母はそのまま消え去ってしまうに違いないという予感にとらわれ、西秋の頭は恐怖で膨れ上がる。ほら、だんだん母の影が薄くなっていく。もう二度と会うことはできないだろう。膝枕で微睡むことも、あの胸に顔を埋めて懐かしい匂いに包まれることも、もはや叶わない望みだ。
「おっかさん、行っちゃいけん」
 西秋の悲痛な叫びに初めて気付いたように、半分透き通ってしまった母がゆっくり振り返る。しかしその顔立ちは闇にかき消されて判然としない。西秋は、自分が母の笑顔を覚えていないことに気付き、戦慄する。

「おっかさん!」

 大声を上げて西秋は跳ね起きる。明け切らぬ薄闇にぼんやりと、いつもと変わりない自室の様子が目に入った。またあの夢だ、上京してしばらく見ることはなかったのだが。西秋は頭を振ってベッドを降りた。全身にかいた汗が冷えて寒い。肌に張りつくパジャマを脱ぎ捨ててシャワールームへ向かう。朝までにはこの不安から抜け出さなければ。
(ホームシックとは、わしらしくもないのう)
 そうではないことを知りつつ、西秋はそこに答えを求めようとしていた。


★  ★  ★


 7型がBPのために作った初めての曲「おいしいレシチン」は、アップテンポの賑やかなものだった。だが親しみやすい曲調とは裏腹に、そこには発音できる限界を超えるほどの音符が詰め込まれ、並大抵の苦労で歌いこなせるものではなかった。その日、寮のレッスンスタジオで最初に音を上げたのは大木だ。
「ああもう。何度歌っても舌を噛みそうになるわい。やっぱりあの機械は絶対故障じゃ」
「大木は普段でも、ようけ噛みよるでのう」
 芦野に突っ込まれて大木は渋面を作った。
「しかし、それをさっ引いても忙しすぎるじゃろう。わしでもなかなかまともにゃあ歌われん」
 柴山に渡されたCD-Rをプレーヤーから取り出しながら西秋が言う。

「ほうやけど西秋さん、どえりゃあええ曲だがね、それ。私は好きだがや」
 練習を聞いていた同じ寮生のマーニャだ。ロシア人と名古屋人のハーフで、くっきりとした顔立ちと、こってりとした名古屋弁がアンバランスな魅力を醸し出している。
「コンピュータが作っとるんでしょう。他にはあれせん音がしとりゃあすわ」
「歌わされる方の身にもなってみんさい。自分が機械になった気分じゃ」
「したばって、聞いてら人はあずましくなるんず」
「Mondayよ。わしにゃ津軽弁はいたしいけえ、まだよう判らんのじゃ。まっことすまんのう」
 蜂の穴に暮らすメンバー中、最年少なのが青森からやってきたMondayだ。身体も細く小さいが、その声量は寮内で一、二を争う。ただ、日常会話を成立させるのにはいささか労力を要した。
「Mondayも、すぐ言葉に慣れます。私たちは、同じ、日本人なのですから」
 しゅんとしたMondayを沖縄出身の手荒が慰めた。小麦色の肌と伸びやかな四肢が南国を感じさせる。喋り方がぎこちないのは、共通語の特訓中であるせいだ。
「手荒の話し方は7型を思い出すのう。頭が痛いわ」

 BGやBoysTileと違ってまだデビュー前のBPと他の三人は、毎日こうして寮内のスタジオに集まるようになっていた。刺激が何よりも好物な若い才能は、あらゆるものを貪欲に吸収してゆく。フロアからは、彼女たちの成長で放出される熱気が渦を巻いて立ちのぼっているようだった。
 そんなデビュー予備軍のうち、唯一BPの戦略だけは他のメンバーと決定的に異なっていた。もちろんYS-TK 7型によるサウンドプロデュースという形態がその最たるものだが、それ以前にテクノポップという今や存在すら忘れられているジャンルを選択し、そこでアイドルとして売りだそうというのは、現在の音楽市場において無謀以外の何ものでもない。一歩間違えれば色物として受けとられかねない、危うい設定でさえある。HORNETの基本コンセプトがR&Bのヴォーカル・ダンスユニットの集合体であることからも、BPの異質さは際立っていた。彼女たちの活動を寮生全員が興味深く見守っていた。それはどこか希少動物を観察するのにも似ていた。

「7型はギリギリの曲を作って、わしらの性能を試しとるんかのう」
 芦野にそう訊かれ、西秋は腕組みをしながら答えた。
「あるいは、わしらの限界値を引き上げよう、いうつもりかもしれん。好意的に解釈すればな」
「少なくとも、わしの滑舌に対する課題なのは間違いなかろう」
 疲れ切った顎を突き出して言う大木に、皆が一斉に笑った。BPにとっては、まったく笑い事ではなかったのだが。


★  ★  ★


 7型は作曲のみならず作詞能力も併せ持つ総合的な音楽創造アーキテクチャだ。ただ、サウンドに比べてテクストを扱う能力は貧弱で、どこかで見かけたことのあるような凡庸な詞を吐き出すのがやっとだった。しかしBPのプロデュース作業に入って以降、明らかな変化が現れた。支離滅裂な言葉の断片を猛烈な勢いで出力し始めたのだ。木野の目には、まるで7型が熱に浮かされているかのように映った。
 木野は何が起こったのかを解明しようと躍起になったが、原因は皆目判らない。プログラムのチェックに疲れた彼女は、出力されたテクストをぼんやり眺めるばかりだった。

 らぶす けい れしちん おいしう こつ きみ ぱ いすの の

 漫然と視線を泳がせながら、彼女は戯れにその文字列を並べ替えてみた。すると、朧げながら意味らしきものが浮かび上がってきた。

 おいしうこつけいのれしちん きみのらぶすぱいす
 美味し烏骨鶏のレシチン   黄身のラブスパイス

 はっとして、木野は他のテクストも引っ張り出してみた。やはり、ここには何かがある。まるで暗号でも解読するように、彼女は奇妙な魅力を放つ文字列に取り組んだ。それまで一貫して理系の道を歩んできた木野にとって、こうした作業は全く縁のなかったものだ。だが彼女は、数字とは違う次元の論理にのめり込んでいく自分を発見していた。どうやら7型と同じく自分も熱に浮かされているらしい。もしかするとBPは質の悪いウイルスではないのか。
 言葉の断片を紡ぐにつれ、新しい意味が生み出されてゆく。その快感に夢中になった彼女は、やがて一編の歌詞を完成させた。「おいしいレシチン」は、7型がBPの為に作った最初の曲であると同時に、機械の生み出したパーツを言葉に変換する一風変わった作詞家、木野の処女作でもあった。

 BPと7型、さらに木野は、一つまた一つと曲を作りあげ、互いを巻き込みながらますます関係を緊密にしていった。BPのサウンドは明確な形をとり始めていた。


つづく

【2007/02/04 01:00】 | あばれ旅
Black Perfume
あばれ旅


花の東京で天下を取れ! 大木黒綾ノ、西秋黒文香、芦野黒優香。広島出身のBP三人娘が繰り広げる、愛と涙の大冒険。

プロフィール

pinksun

Author:pinksun
※このストーリーはフィクションであり、登場人物、団体名等は全て架空のものです。
※ご意見、ご感想などコメントは下のカテゴリ「亀戸」のページでどうぞ

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。